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お詫び

いつも弊ブログをチェックしてくださって、ありがとうございます。

沈黙していました事、お詫びします…
あと、私の勝手でブログ記事を変更できなくなってた方にも
お詫びします。ごめんなさい。


本当は、
こんな時くらいは世間の話題に大々的に上ったって良いじゃないかと
そんな風にも思うのですが
それはおそらく残された方々の本意ではないのだろうと察し
このブログでも検索にはあまり引っ掛からない方法で
書きたいと思います。


近況を少し、「つづき」に。

※8月6日 夜 追記有り

拍手[35回]





ERIがあの方を探し当てたのは
2009年の暮れ、12月も終る頃でした。

初めて戴いた2010年の年賀状には、24歳、新劇の俳優でいらした頃のお写真が載っていて
「お手紙ありがとう。引退はデマです。」と書かれていました。

その後、年賀状と暑中見舞いは、私がデザインしたものを好んでお使いくださっていました…
毎回、60枚。書き損じ用に5枚おつけして、お渡ししていました。

そのうち、Nさんが逝かれ。Aさんが逝かれ。
G・Nさん、Kさんが逝かれ。
I・Nさんも逝かれました。

その度、「良いヤツは早く居なくなっちゃうんだよなあ」と。
TさんやHさんの事は
悔しいけどカッコよくてすごい男だったと
昔のアニメの話になると、そう言われていました。
一番カッコいいと思っておられたのは、やはりG・Nさんのことでしたね…


私が縁あって Oさんに手習いをしていた時は
面白いヤツだったと、思い出し笑いをされていました…

ユキちゃんの中の人の事も、もちろん。



5年に満たないおつきあいでしたが
とにかくお話がお好きな方でしたから、
たくさんの思い出話があります…
というか、たくさんたくさん、お話をお聞きしました。
ご高齢でしたから、同じ話を何度もされる。
でも、その時によって違う角度から思い出されるのか、
前に聞いたお話でも、違う角度からのお話なので
以前にはなんだか概要が分からなかった話も
ついには完全に補完される、というところまで行っていましたねえ。


今だから、言えますが
あの方は、アニメがお嫌いな方でした。

だから、実を言うと
アニメに関しては、私もほとんどお話を伺う事はありませんでした。

残念なのは、これです…

part1だけは、DVDをすべてお渡しし
26話すべてを観て頂きました…というか、とても喜んで鑑賞してくださり、
その時々のリアルなエピソードをお話して下さいました。
ですが、
その後のシリーズについては結局、ひとつもまともにお見せできなかったのです。


アニメーションで売れた事に、ご本人は納得しておられず
私とのお話はもっぱら、洋画の吹き替えだったからです。


本当は、せめてヤマト2まで観て頂きたかった。
それは叶いませんでしたが。


ところが
皆さんもご存じのとおり、2199の発進式のレポート番組のナレーションを
なさいましたよね。
長く付き合った作品だから思い入れが無いとは言わないけれど
これが遺作だっていうのはなんだかねえ。
苦笑して仰っていましたから、次もあると、私は信じていたのですが…

実質、それが最後のお仕事でした。




昨年の春頃から、体調を崩されることが多くなりました。
「大丈夫だから」と言われていつもお会いするお店に来て下さいましたが
在宅のケアマネージャーさんからは「心配です」との連絡をもらっていました。

お帰りになるとき、いつものように改札口で振り返って
手を挙げられました…颯爽と。

見る限り、その日はまったくお元気で。
でも私は心配で、距離を置いて後をつけたんですよね…(笑)
コソコソと。尾行です。だって、心配じゃありませんか。


小雨の中、杖をつきながらもよどみなく歩かれるお姿に安堵して、
私はおうちの手前で引き返しました。
お一人で住まっておられるので、帰宅したらケアマネさんに電話をする、という
取り決めだったようです。

ケアマネさんから、
「今帰宅の電話をもらいました。あなたが付いていて下さって良かったです」と
メールが来ました。

私は、ホッとして帰途につきました………




それが、昨年の、7月でした。

9月になって、急に体調を悪くされ。
(そのとき、ここでご報告したのを記憶しています。あの時は色紙にたくさんのお見舞いのメッセージをありがとうございました。ちゃんとお届けして、一つ一つを見て頂きましたよ)
その後、回復されたのですがご自宅へは戻られず
東京の八王子にある介護施設にご入居されたのです。


最後にお会いしたのは
ご入院されていた時でした。

昨年の10月でした…





来年は年賀状も暑中見舞いも出せないねえ。

手が震えて、もう文字がね。

でもまた、作ってくれますか?

僕が元気になったら………




観客の前では、どんなに弱っていらしても
颯爽とした演技をされたかったのでしょうか…




最後のメールは5月でした。


私も離婚したり色々あって、忙しさに取り紛れていました…
事情を話してあったので
「夫さんとは本当に離婚するのですか、子どもさんたちが心配です」と
拙宅の豚児の心配までして下さいました。
お孫さんはおられなかったので、我が家の息子たちを孫のように思って下さり
図書券やお菓子を送って下さった事もありました…。


なのに私は今年に入ってから一度もお目にかかることができなくて…。


遠慮なんかせずに、観客でいればよかったと。


それだけが心残りです。





あの方の命日に当たる日。
私は何も知らずに、「蛍」の絵を描いていました。
暑中お見舞いに使った、「綿菓子」の絵の再利用ですが。
この絵には、綿菓子じゃなく蛍を描きたいと、なぜかふと思ったんです。
暑中見舞いの時期は蛍には遅すぎるのですが
なぜ私は蛍を描いたんでしょう。どうして蛍だったんだろう…


実は初めてお会いしたのが
蛍の舞う庭園だったんです。

ファンレターがたくさん来る。
会いたいですと言うファンもたくさんいるけど、
でも僕はそうそう「会う」ということはしなかった。
でも、「蛍をいっしょに観ませんか?」と持ちかけて来たファンは、あなたが初めてだったんだ。
つい、珍しくて、応じてしまったんですよ。


そう仰って頂いたことを、
後から、思い出しました。









ありがとうとか

さようならとか、

在り来たりな言葉はたくさん思いつくのですが…

どうしてもまだ、そうやって幕を引く事が出来ません。



ここを読んで下さった方も、出来ましたら
お別れとかそんなんじゃなく

ずっと演技人でありたいと願っていた、一人の役者としてのあの方の、
観客で居て欲しいなと思っています。


きっと、そういう方があの方も

喜ばれるでしょうから。




※追記


ネットに訃報が流れてから、ERIの立ち直りがずいぶん早いな、って思ったかも知れません。

けど、実際は先月末の誤報と言われた頃に
ご親族から伝え聞いていました。
8月1日にはご家族と直に話しました。

今日は初七日に当たります。

一人で抱えきれなくて

親しいお友達に電話をかけ洗いざらい話して、泣きました…


最初の2日はあまり声が出ず
仕事もままならず
立ち止まっては泣いていました。

ブログや日記を書くのに「普通のテンション」でいなけりゃならない。
それが苦しくて仕方ないのに書かずに居られなかった。

支えてくれた人、
内緒にしてくれてた人、
メールくれた人。

みんな、ありがとうございました。
もうちょっとかかるけど
心配しないで下さいね…






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