ディズニーアニメの方は、長男がまだ小さかった頃によく観てたので、細部まで良く覚えてました。
ディズニープリンセスものの中でも、一番好きなやつかもしれない。
とにかく、ヒロインのベルが「本の虫」なところ、
変わってる、と後ろ指さされるところ、
そういう設定がお気に入りでした。
(当時のプリンセスものは、リトルマーメイドのアリエル、アラジンのジャスミンあたりから大きく路線変更したよね。ヒロインは、「ただの守られる女の子」ではいない、そういう設定がディズニーアニメの大筋として定着したのがあの頃だったんだろう、と思う)←違ってたら教えて♪
ディズニープリンセス公式、というと、なんと13人もいるんだそうな。
(白雪姫、シンデレラ、オーロラ姫、アリエル、ベル、ジャスミン、ホカポンタス、ムーラン、ディアナ、ラプンツェル、メリダ、アナ、エルサ)
そのうち、よくグッズで揃ってるのが白雪姫、シンデレラ、オーロラ姫、アリエル、ベル、ジャスミン、の6人。(実は私もメモとかグッズ持ってるw)
ベルが空想癖ありの変人本の虫(だから野獣も許容出来たw)でナンバー2、
ジャスミンがもと乞食出身の夫、という変人最強プリンセスで、やっぱりそういう設定のお話は面白い。
フェミニズムに迎合してるといわば言え。
個性豊かな自由な女子に尊敬され、愛されてこそ、真の男だ、男たちよ頑張れ。てなもんですわ。
とかく、現代の男は「よわっちい」。
表面だけのマッチョ思想でガチガチに自分をガードして、痴漢冤罪は線路を走って逃げるが勝ち、何かと言えば「女が強い世の中で可哀想なオレ」をアピール。
女が強くなったのだから、男はもっと強く、もっと柔軟にそれを包み込んで守り、尊敬され、そうして女に「この人に従いたい」という気持ちを起こさせないでどうするんだよ、と思いません??
「美女と野獣」はラブストーリーでありながら、そのメインコンセプトは、
「そんなもん理解出来ない」男代表のガストンと、
「仕方なく努力したら案外できた、できたら予想外に気持ちよかった」男代表の野獣、という、ある意味「男のための生き方指南」。
そうだったのか、と今回改めて思いました。
ガストンの腰巾着やその他の脇役に、オネエみたいなのがやたらと出て来て、これも新しい男の生き方なのネ、みたいな匂いもプンプンしてたし……
一方で、ガストンみたいな男って、本当にいるよね〜〜。
女は自分の虚栄心を満たすための道具でしかなく、「力」とは暴力でしか計れないと思っている。
背中からだまし討ちするのも知恵、好きなものは戦争、血なまぐさいことや戦争で夫を失った未亡人にムラムラする。イケメンでマッチョで、こんななのに色男だから女性にモテる。
その辺に結構いるよ、この手の男。
現実に珍しいタイプではないのが、ちょっとイヤだった。そういう意味で、ガストンはアニメよりパワーアップしていたな……
アニメのほうが良かったな、という点も幾つかあったけど(ベルと野獣のダンスのシーンは、努力してたけどアニメのほうがカメラワークが良かった… 華やかさや広がりを感じたのはアニメのほうだった)
あとは、やっぱり演技かなあ。
エマは奇麗だし、さすがにハリー・ポッターで「目の前にないもの」を相手にする演技は慣れている、とは思う。でも、魔法を目の当たりにした時の表情が、まだハーマイオニーから抜けていない。……初めて魔法を目にする女の子の表情、ではなくて、魔法の使える女の子の表情なのよ〜。
あとから合成される映像を想像しての演技がやや平坦で、それがちょっと気になりました。
それと、時計のコグスワースがアニメほど目立ってなくて、あれれ?ってなった。
燭台のルミエールと、置き時計のコグスワースの掛け合いが、なぜかあまり印象に残らないんです。ミセス・ポットとチップは良かったんだけれど、……チップとベルが仲良くなっていくシーンがほとんどなくて、……いや、もしかしたら尺の関係でカットされてんのかなあ?ってちょっと残念。
今回の映画のために作られた曲もいくつかあって、それはとても素敵だったですヨ。
アニメの「美女と野獣」を見たのは、1991年の作品だからもうずいぶん昔のことだったんですが、今回の実写映画も、話の筋やキャラクターはほとんど変わっていません。
単純にプリンセスもの、女の子のためのお話、という括りで見られがちだけど、当時も私はこれを見て、自分の彼氏や夫も、マッチョ思想で弱い自分を武装していないで、強い女にも尊敬される真に強い男になって欲しい、と思いました。
ま、思ったけれど、
人というのはそう変わるものではなく。
「強いというのはどういうことなのか」。
分かっている男性って、ホンットに少ないな、と思います。
ん?
「分かろうとする」それだけだって、良いんですよ…
その気持ちが大事です。
それだけでも、尊敬されるファクターとなり得るんだしね。
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