ものすごい近所に、新設される特養がある。
定員は120人。
問い合わせたら、要介護度と負担限度額の段階に応じて(母は要介護度3で、2段階)料金設定がされることと、その程度によって入所順位が決まるとのことだった。
料金は、それによると(おおまかにだけど)今よりかなりリーズナブルになる。
月に3万は安くなるという。
で、半年ごとに次の施設を探さなくちゃ、と悩む必要もなくなる。
場所は次男の学校のすぐ近くだ…
ってことは、歩いて行ったって15分圏内ということだ。
もしも入所できるのなら、私としては泣きたいくらい嬉しい。
…………でも、反面、ああついに姨捨山決定か、とか要らんことも考える。
母がずっと入所している老健(老人介護保険施設)というのは、
在宅介護を目指してリハビリをメインにした入所体制をうたった施設であるけれども、正直、これは絶対在宅なんて無理でしょ、って言うお年寄りも入所している…… 母も、おそらくその一人だ。
当初、若いんだし、これからリハビリをガンガン続けていれば
きっとよちよちとでも歩けるようになるさ、とか私も、みんなも思っていた。
だけど、倒れてから5年目になるが、母の状態は悪くなる一方である…
っていうか、
「治りたい、自分でも出来ることをしなくちゃ」という感覚まで、
脳から奪われてしまってるのだ。
施設に預けてお金だけ払って「面倒を見ている」ということに、
罪悪感を感じないわけじゃない……
ただ、どうにもならないのだ。
車いすからベッドへ移る、それだけでもとても神経を使うくらい、彼女の身体はクタクタで、しかも最近は車いすにすらまっすぐに座っていられない……
で、そのことが彼女には分からず、いつも傾いている右側の(麻痺側の)腕に車いすのアームレストが当たっていて、そこに傷が出来てしまっても、「痛くも何ともない」のだ……
床ずれが出来ていても本人が「痛い」と思わないので、施設のスタッフとしても苦肉の策を講じることくらいしかできないのと同じだ(っつーか、あれ在宅だとしたら、私は一週間で母を寝たきりにさせちゃう…。細かく面倒を見てくれる施設のスタッフさんたちにはいつも頭が下がる、常時人手不足で母がコールボタンで呼んでも「待ってて〜〜、今ちょっと休んでるからもうちょっと我慢して〜」とか泣きのはいるスタッフさんばかりだとしても………)。
そのくらい、母の身体は本人も知らないうちに弱っている。
ただ、… 特養、ということは、
在宅介護を目標としてケアしてくれる今の施設ほど、
細かなケアは期待できないだろう、それも分かる。
ということは、数年後には母は……
まあ、そんなことは書かないでおいたほうがいい、よね。
料金が安くなる、家から近いし施設を移動しなくて済む、とこっちの都合だけで喜んでいるが、どういう施設か……はまだ皆目検討がつかないのも確かだ。
母に「こんなとこはイヤ」と泣かれても、もう次は移動はさせられなくなる。
イヤでもいてもらうには、やっぱり個室とか、料金的にはまた上がることを考えなくちゃならないのだろうな…。
現実と、理想が複雑に干渉し合ってる…。
高い料金払って面倒見てもらうんだ、嫌でもそこにいてくれ、と、
言い続けるはめにだけはならないよう祈るしかない……
そこで、私はまた、言霊に頼ろうと思っている。
「書けば夢は実現する」
奇跡は本当に起きることがある、ってやつだ。
起きて欲しくないことは、言わないっ、書かないっ。
上にちょろっと書いちゃったけど、想定した最悪の事態は、書かない。
思っても口にしない。
で、虫がいいけど起きて欲しいこと、きっとこうなると希望することは書散らして言いふらす、またその方針で行こう、と思う。
…そうやって、今までに何度も助けられて来たから。
その特養が完成するのは、来年の4月だ。
母は、きっと入所する。
そんで、その施設では、とってもいいスタッフに恵まれるに違いない。
家からも抜群に近いし、母の宗教のお友達もきっともっとお見舞いに来てくれるに違いない…
そうでなくちゃ、ならないのだ。
[7回]
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