拍手コメントも表のコメントも、
匿名性を利用すれば勝手な振る舞いは出来ます。
だから、一度は撤去しました。
ここにコメントくださる皆さんが、拍手コメントに主に書き込んでくださると知っていて、その上で、その全員にイヤな思いをさせた「あなた」。
あなたの思惑通りに、ビビって引っ込んでようかと思ったけど。
だけど。
人を踏みつけにしたら、その痛みは全部自分に帰ってくる。
それは私だけじゃなく、誰にも言えることだからね。
それを分かっていて、受け止める覚悟があるのなら、そういうやり方で生きて行けばいい。
あなたはあなたのしたことの責任を、かならず取ることになるのだから。
前の記事の拍手コメントにメッセをくださったRさん、Mさん、Aさん。
正直、また傷つけられるかと思って、拍手をチェックするのが怖かった……。
だけど、ありがとう。
勇気が出ました(笑)。
半身不随の母を介護しながら、
3人の男の子育てながら、
無関心な旦那に失望しながら。
私は、夢も諦めずに追いかけ続けます。
頑張る。
私のやることが気に入らないのなら、ここに来なければいいんですよ。
簡単なことじゃないですか。
重ねて言いますよ。
あなたは、あなたのしたことの責任を必ず、取ることになる。
それは世界中の誰にでも言えることです。
それがいやなら、ここに来なければいいんです…… 簡単なことですよ。
ねえ?(笑)
[44回]
*********
「つづき」はここから
誰かを踏みつけたら、それは自分に帰ってくる。
それって、本当に真実でね…。
私も、誰かを踏みつけて、蹴っ飛ばして、ってやってきた。
そうして全部、それが返って来た、っていう体験をしてるから分かる。
因果応報なんていう言葉は、大ッキライだけど。
誰かに痛みを与えたら、それはいつか、必ず同じ痛みになって返ってくるよ。
それだけは事実、だと思うんだ。
今まで、あんまり書かないで来たけど。
リアルでは、今にもへこたれそうな日々を送ってる。
宗教に心を奪われた母親とは、満足に腹を割って話せた試しなど一度もなかった。
常に親子の間にも、宗教の概念が入って邪魔をする。
「善」だと信じて、それを強要する親。
家族より宗教だなんて、いくら「善」だとしても許容できない、と突っぱねた娘を、母は「死んだも同然の子」と言って、切り捨てた。
だけど、脳出血で倒れた母を、胸騒ぎがして助けてしまったのは、その娘、だった。
倒れた母の身につけていたのは、お気に入りの宗教の理念に則って、例え自分が死のうと治療のための輸血をしないでくれ、という文言とそれを承認する成人の署名。
もちろん例の宗教に属する、赤の他人の署名だ。
私が死んだとしても、治療しないでくれ。
でも、医療機関から最終決定を迫られるのは親族。
切り捨てられた私たち娘だった。
母の希望に従えば、「見殺し」。
母の意思に背いて助ければ、目が覚めたときなじられるのだろう。
そんな酷い決定を、なぜ強いるんだ。
恨みさえしたし、この期に及んでも母は家族より宗教なのか、と絶望した。
1分ごとに、救命の確率は落ちて行く。
迷っていれば、母はどんどん死に近づいて行く。
私たち娘が、どれだけ苦しんだかも知らないで。
だが母は、私たちが下した決断「生き延びさせてなじられるより、死んだとしても希望通りにしてやろう」の通り。
どうにか無輸血の手術に耐え、生き延びた。
だけど……
半身不随、認知症。
助かって、目覚めたとき。
母はいきなり、要介護5の1級障害者になってしまっていて。
「若いんだから」「リハビリで」回復する、と信じて4年、やって来たけれど、「もう無理だと思います」と、先日施設の担当者に宣言されてしまい。
枯れ枝みたいに固まって動かない足、そして、手までも。
半年前に出来ていたことが、とうとう出来なくなって。
異常な言動を繰り返し、人の悪口など絶対に言わなかった母が、施設スタッフの悪口をいい、言いながら泣く、などという信じられない状況へと踏み込んで行っている。
私は、「老人はこうなっていくもの」と淡々と言う施設担当員の言葉に「そうですねえ」と答える。
平然とそんなことを言う介護の現場に、疑問を抱いても無駄だ。
奇跡の回復は、テレビの中だけの出来事。
母の洗濯物を取りに行って、新しい服を戸棚に仕舞ってくる。
洗濯は、汚しまくる運動部の高校生を2人抱えて、全部で6人分だ。
仕事もしてる。8時間の立ち仕事。
その帰りに、施設によるともう、足は棒みたいになってる。
でも、母の要求を聞いてやらなければならないという使命感で、爪を切ってやり、布団を直してやり、カーテンの引き方、車いすの向き、トイレの介助、歯磨きの手伝い、手洗いの手伝い、食堂への移動、文句を言ってくる同室のお婆さんに平謝りする……などなど、……出来ることは何でもやってやる。
母が寄付したいというから、宗教の集まりへ行かせてそのためのお金を持たせる。
家で24時間面倒をみるスキルがないために、施設にいてもらわなくちゃならない……その後ろめたさに、何でも言うことを聞いてやろうと思ってしまうのだ。
でも、こっちの身体はいつでも限界、だったりするんだな。
だから、帰宅して立ったまま料理をするのがつらいのだ。
だから私は、必然的に料理をしなくなって行った。
帰宅して玄関先の草むしりをしなくちゃならないとか、
階段に埃が溜まってるのが見えるとか、
トイレに入ればまず掃除をしてしまうとか……
家に帰れば帰ったで、休める状況なんか、ほとんどなかったりするのだ。
溜まったお皿を横目で見ながら無視を決め込む。
料理を作る暇があるなら、座ってボーっとしていたい……休みたい。
抵抗としては、それくらいしか思いつかない。
なのに、学校や世間では「いいお母さんはお弁当作ってくれる」「ちゃんと懇談会に来る」だのという……
死んじゃいます、弁当なんてこの上作らされたら。
朝は、自分が仕事に行くので精一杯だ。
この上、家事をマトモにしろと言われたら、私は笑顔を無くすだろう、そう真面目に恐れたくらいw。
いつでも、「私がこうしてあげなかったから悪い結果になって行く」と思いながら、家の中を見ている。
母も。
私がもっとそばにいて、手足のマッサージ、装具の交換やらメンテやらに時間を割いてやれたら。
あれほど状態が悪化することはなかったのかもしれない。
施設をよく選んで、いやだ、と泣かれるような施設に入れておく…なんていうことを避けられれば、あんなに認知症も進まなかったのかもしれない…
私が一人で、家事も、仕事も、学校の用事も、ゼッケンの縫い付けも、買い物も、母の世話もこなせないのが、きっと悪いに違いない………旦那や男の子なんて、そういうことにはてんて役立たずなんだから。
おかしな自己嫌悪でお腹が一杯で、食欲が無くなる。
これ以上「やれ」と、どうして私に言うんだろう……
そう思いながら、学校の下校パトロールに参加してて、ふいに涙が出たりなんかしてね。
「超人のように出来ない自分」に、もうホント、失望したりして。
その中で、確かに誰かの神経を逆撫でするようなことを、したかもしれない。
けど、
私はこれだけやっている。
これだけやること満載の中で、やっと掴んだものだ。
私だって人間だから、やりたいこと、夢、大好きな人、そういうものを手放したくなんかない。
全部、覚悟があってやってることなんだ。
面白半分にこういう哀れな人間が死にものぐるいでやっていることに水を差す、どっかの誰かに、
私の選んだものを壊す権利なんて、どこにもない。
母の身体が、枝みたいに固まって、動かなくなって行くと言う絶望を、それでも私は今味わってる。
そんな自分を、誰も支えてくれないっていう孤独も、味わってるよ。
無様だと笑ってればいいさ。
ざまあ見ろ、って、言いたきゃ言えばいい……
だけど、それは持ち回り。そのうち、あなたの番が来る。
人を踏みつけにしたら、必ずそれは返ってくるんだから。
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