もう2018年なのだなあ。
全然ついて行けないのに、時間だけが進んで行ってしまう。
私の心の中は、まだ2017年のクリスマスあたりで止まっている。
<OSAKA光のルネサンス2017 中之島中央公会堂ウォールタペストリーライティング>
9分ほどの動画なのだけど、ヒマだったら見てね。↑
クリスマス。
小さい頃から、『祝ってはいけない』お祭りだった。
それでも、ただのイルミネーションの行事なんだからと自分に言い聞かせて、
こっそり楽しんでいた…
母からは、異教の祭りとして禁じられていたから。
私がイルミネーション好きなのは、
世間のみんなと同じようにクリスマスを楽しみたかった、という、
『痛切な心残り』の名残なのかもしれない。
おにーさんを連れ回して、夜景ばかりを見て歩くのも、それなんだろうな。
本当は、母と、父と、妹と祖母と、…みんないっしょに、
イルミネーションを見て「奇麗だね〜」と言ったり
夜空を見上げて「わああ素敵!」とはしゃいだりしたかった。
大事な人。
大事な人たちと一緒に、
例えそれが、ただのお仕着せの娯楽や商魂逞しい行事だとしても
当たり前の季節のお祭りだとしても、
それを普通に楽しみたかった……
夜景マニア(笑)でも、
これには上に書いたような、複雑な由来があるのよ……
2年前の12月、
翌年以降に、こんなにたくさんの大事な命が亡くなるとはまだ知らなかった頃。
上の動画と同じ、この場所で、将来家族になることを約束してくれる人が出来た。
でも、その後すぐに彼の叔母さまが逝ってしまい
彼の叔父様、そしてお父様、
そして私の母までも。
おにーさんとも、離れていると、いつ何が起きても不思議ではないと思ってすぐに不安になる。
だけど、
一時一時を大事にただ生きて行くしか、何もできることなんて無い…
当たり前の時間とか
当たり前にいるはずの人とか
それがこの世で一番、当たり前ではないのに、
私はずっと、それに気が付いていなかった。
あのウォールタペストリーのプロジェクションマッピングを見ながら、
向江陽子さんの「光」という曲を聴きながら、
それを噛み締めている。
おかしなことに
この明るい曲調の「光」を聴いていると、
涙がボロボロこぼれてしまって前が見えなくなる。
何度聴いてもそうなってしまう。
だから、まだ2017年から出られないでいるのだ。
[2回]
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