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ここから「つづき」
実は、昨夜一通り介護仲間に愚痴ったので、多少は気が楽になったんですが。
それでも、ショックだというのは変わるわけじゃなく…。
人が変わったようになる、というのは、お年寄りの一般的傾向なのかもしれない、とは思いながら。
でもまだ母は74。
そのくらいの年齢なら、まだまだ現役の方は沢山おられて、
どうしてもそういう健康なお年寄りと母とを比べてしまい、
こんなはずじゃなかったのに……と悲しくなるわけです。
だんだんと衰えて来ての、来るべき認知症、じゃなく。
ある日いきなり倒れて、目が覚めたら一級障害者&認知症になってた…という母なので
こちらも「まさか」という思いが、倒れてから数年経った今でもぬぐい去れない。
2007年の11月、でした。
母が脳動静脈奇形の破裂で倒れたのは。
そこから私はずっと、自分の家庭と母の施設での生活とをダブルで支えてきました。
母は24時間介護が必要な、しかし在宅では面倒見きれないタイプの特別障害者です。
着替えや常備薬や身繕い用品、車椅子の調整等々は当然。
大変なのは、1年ごと程度にやる、入所施設選び。
施設見学はひとつ行うのに、アポ入れても半日かかります。
ネットやパンフや口コミを調べるのにも時間がかかる。
実際に見学してみて、母に合いそうもない、という問題点があればそこは却下。
通うことも考えると、そんなに遠くは無理です。
施設も商売だから、出来れば2人部屋を希望するうちの母のような(いや、実際にほぼ妹が払ってくれるんだが)金払いの良さそうな入所者は押さえたいんでしょう、施設内の例えば人手不足とか、職員のぶっきらぼうな態度とかは隠そうとする。
入所者さんたちのお顔を拝見すれば、その施設が比較的良いか悪いか、最近は分かるようになってきました…だから、入所者さんの居住スペースの見学を拒否する施設はダメだって、それも心得てきました。
そういうソフト面と、利用料金といったハード面とを考慮すると、近隣にはほんとに数軒しか「良い施設」はない………
それも、この数年間でまた様変わりしています。
「いい」と思っていた施設内で、職員の表情が変わって来た…
何かと思えば、トップが交代して経営方針が変わり、
笑顔でお世話、から合理的にお世話、に変化していた……とかね。
でも、こればっかりは雇用の形態を政府がどうにか考慮してくれないと
全くどうにもなりません。
いい大学入っていい企業に勤める人の方が、
お年寄りの世話する人よりも高い賃金もらっていれば
これは回避出来ないです、永遠に。
いじめは小中学校では「悪いこと」ですが、日本全体でいえば「当然のこと」ですから。
話がそれました。
そんなこんなで、私は母親を「介護老人保健施設」という施設に預けているわけですが……
(まあ、これも比較の問題じゃないとよく言われますが、在宅でお世話してる人に比べたら楽なのかもしれないです、……それは分かってます)
施設のスタッフから、去年の8月頃から前傾姿勢が目立つことと(=腰が曲がった前のめりの状態で車椅子に座るようになってきた)夜間にヒステリックな態度になる、ということとを相談されました。
前のめりに座っているので、たまに車椅子から頭から落ちることがあります。
それで先月も床に落ちて、額を3針縫いました。
車椅子をどっしりしたものに変えて、様子を見ていますが…
どうしたらいいんだろう、それは私にだってわかりません。
施設の方が「工夫してみます」と言って下さることに頼るほかありません。
母は日中車椅子にずっと座っているのですが、お昼ご飯のあと、お昼寝をするのが
なにより嫌い。
寝ているのはつまらない。
…まあ、それは分かるんですが…
実は、母の臀部は麻痺側の右側が、日中ずっと座位でいるために床ずれが出来ています。
麻痺しているから、母には痛みが伝わらない。
でも、お世話する側のスタッフからは、かなり問題な床ずれ。
そのために、出来るなら座った姿勢で床ずれのお尻で体重を支える時間を短くして、
お昼寝で体重を全身に散らす時間を作った方が良い。
……その理屈、私からは理解が出来るし、まっとうな判断です。
でも、母にしてみれば痛くもないお尻のことを理由に「寝ていろ」と横にされる。
それが嫌で嫌でたまらない、のです。
自分はスタッフにいじめられている、とまで思っているようです……
そのために、就寝時間になると着替えさせようとするスタッフに怒り、
着替えなんかしない!と癇癪を起こしたり、怒鳴ったりするようになったのだと思います………
時間の観念も、段々薄れていってるのかもしれません。
だけどねえ。
母は、非常に模範的なクリスチャンだったんですよ。
娘の私から見ると、「バカじゃないの?」と思うほど、寛容な温和な態度を取ろうと努力する人だった。
ほらー、「右の頬を叩かれたら左の頬をも差し出しなさい」っていう?
あれを地でいってた人だったんです。
私は、その見るからに偽善的な、自己欺瞞的な似非宗教家っぽい教えが大嫌いだったんですが
母はご立派なほどその教えを実践する人だったんですよ。
極端にいうと、友人や我が子や実の親よりも、ともかく人よりも神サマとのつながりを最優先にする人だった。
それに反感を持ちながらも私は。
何年も、何があってもそう言う姿勢を貫く母に、多少は尊敬も抱いていたほどです。
それなのに……。
具合が悪いのを押して、へろへろ状態で母の洗濯物を交換にいった私にも、
「ここのやつらはひどい」とか同室の誰それは根性悪だとか、言い始めました。
ああ、ほんとだ。
『人が、変わってる』んだ。
しかも、私も具合が悪いっていってるのに「駄目だよ、帰っちゃ」と怒り出す…
母の中では、誰も彼も、自分に辛く当たる、という被害妄想だけが
活性化してるんだろうなあ……
仕方なく。
嫌で嫌で堪らなかった、聖書の言葉を思い出すようにと、
私が母にお説教するはめになりました。
それだけでは効果がないので、思い切って言ってやりました…
「貴女は、素晴らしい信仰家だったよね。そんなら、
お世話してくれている人に怒るなんて、申し訳ない、って思うでしょ?」
そうしたら、母の表情が変わって、
何かを思い出すように和み。
私はまた、落ち込んだわけですね。
ああ、やっぱり生身の人の恩とか、我が子の存在よりも。
この人の心の拠り所は、宗教なのかなあ……。と。
「人が変わった」認知症の老人をも正気に返すことが出来るのだとしたら、
バカらしいと思っていてもすがれば良い、のが宗教なのか…
つか、神様がホントに居るのなら。
アナタの信者のこの人を、もうちょっとかまってやって下さいよと、マジでそう思うわ。
で。
この状態の母を、近いうち、また新しい施設に移動させなくてはならないんです。
今、施設選びにものすごく悩んでいる。
だって、今居るところはこれでも、比較的入所者の感情に共感して介護してくれるところなんです。
ここ以下の施設だとしたら、母の状態は悪化するのが目に見えている。
どうしたら、いいんだろうか。
まあ、考えてもなるようにしかならない、のは確かなんですけれどね。
辛いのは、やっぱり。
これを私がひとりで考えて、ひとりで決定して、
ひとりですべてに対処しなくちゃいけない、ってこと。
夫は戦力外、親戚も戦力外。唯一、離れて住む妹だけが金銭的援助をしてくれてますが
それだけです。
あと、時々は子どもたちが届け物をしてくれますが、そんなの介護においては戦力とは言えないよねw。
時たま、こういう二進も三進もいかない状況に叩き込まれてしまうことがありますが、
そんな中でも、自分の家族の状況や職場の状況は待ってくれません。
家族がインフルになっちゃったりね。
職場ではモンスタークレーマーに噛み付かれたりね。
自分の仕事では、とてもテンション上げられない心境なのに、マックスのテンションを要求されたりね………
なのに、時間は一日に24時間しかなかったりね。
私の身体は一個しかない、とかね…… それが一番、辛いかな(笑)。
あり?
介護の話、っていうカテゴリの話なのに、
なんだか愚痴・弱音吐き、になっちゃった(笑)。
ま、しょーがないか。
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