レディースデーだったんで。
ネタバレせずに感想を書く、のは結構難しいのですが、
当たり障りのない所をここへ。
こりゃネタバレだ、って部分は「つづき」へ。
笑。
さて…
まずは、総括でありますが〜…
「繰り返し観たいかどうか」という点では、「一回観たら、まあもういいか」な部類の映画でした。繰り返して…というのなら、やはり原作をお勧めします。
情報量は圧倒的に原作の方が多いので、映画だけだと「あれ?そうだったんだ」という現象が起きます(これは、どんな原作付きの映画にも共通のことではありますがw)。
他方で、やはり映像作品ならではの情報・楽しみ方も多く、良い意味で補完しあっているんじゃないかなって思いました。
カンヌの審査員賞を受けた理由については、2つありますが
(多分、ですけども)
まずは、バランスの良さ、なのかも知れないですねえ。
映像、役者、役者の演技、音楽、脚本など、諸々の力量が釣り合っていた、と感じます。
大概、これのうちのどれかが妙に目立って出来が良くて、他から浮く…という現象が多いものですが、この映画は色々な意味で奇麗に、しかもハイレベルにまとまっていました。
あと、観た人の捉え方がおそらく一人一人違うだろう、ということ。
大まかに3つの捉え方ができるんじゃないだろうかと思いました。
「親の立場で終始観る人」
「子どもの立場で観る人」
「どちらの心境も分かる人」
この3つです。
観る人の心の成長度や人格形成の段階によって、見え方の違う映画だな、と。
ERIはそう思います。なので、劇場内でも「すすり泣き」の聞こえるシーンが、
ホントに色々でした。どこに感動するかが、人によってこれほど違う映画も珍しいかも。
[1回]
「そして父になる」
私は、終始「子どもとしての視点で」観てしまいましたねえ。
主人公は父親の方なのですが、私の感情移入先は子ども…というか、
意識が子どもの頃に戻ってしまってその状態で観ていた、というんでしょうか。
原作ではこういう見方をすることはあまりないのですが、
ここが映像作品の持つ力なのかも。
最初は、私は母親なので、妻のみどりの視点で物語を追うんだろうか、と単純に思ってたんです。でも、映画を観ているうちに次第に子どもの立場に立っている自分に気がつきました。
「あ、これは」と思ったのが
冒頭からずっと本編を彩るピアノ練習曲。
ブルグミュラーの25番とか44番とか?
主人公の良多が、ピアノが上手だと言う設定から来ているのだとは分かるのですが、主題歌などもなく、ただひたすらずっと、ピアノの練習曲ばかりが使われている……
私の父母は音楽教師でしたので、私も否応無しに毎日ピアノを弾かされていましたし、いつでも階下のレッスン室からはピアノの曲が(しかもかならず課題曲と自由曲とソルフェージュの組み合わせなのでブルグミュラーやバッハは曲名を知らなくてもフルで暗譜しているのです)響いていました。
この映画で、「音楽」をほぼすべてこの基本中の基本であるバッハとブルグミュラーの練習曲にしたのは、やっぱり「子ども」を意識しているから…ですよねえ。
だからなんでしょうか、私の視点は「子ども」の慶多、でした。
福山雅治のイケメンパパを見ながら、
一流のものにこだわり、田舎臭い実の母親を自分の指揮するオーケストラのコンサートへは決して呼ばなかった私の父を思い出しました。
福山雅治演じる主人公像が、私の父に被りました。
リリー・フランキー演じる、しみったれた町の電器屋、見た目はまるっきりイケメンじゃない相手の家族の父親は、私にとっては未知の領域に居る男性像。
「私にしかできない仕事があるんですよ(だから、子どもと遊んでばかりはいられない)」と言った福山パパに、リリーパパが言い返す。
「……父親だって、代わりのいない仕事でしょう」
不覚にも、私はそこでグスッと来てしまった。
私も、小さい頃の父親の記憶が希薄です。
覚えているのは夏に一度だけプールに連れて行ってもらったことと、
雨の中、黒いセドリックの後部座席で塗り絵をして父を待っていたこと、
…そのくらいです。
色んな仕事をしていて色んな肩書きを持っていたという父ですが、
父親にはなりきれなかった人。
翻って、自分の家庭でもそうだな、と。
私の夫も、父になろうとはしていましたが、結局なりきれなかった人。
「子どもは、時間だよ」とリリーパパが言うんですね。
生みの親より、育ての親だと。
いかに一緒に時間を過ごすことが出来るか、だと。
ああ、そうだなあ、と思いました。
ただ、そうすると、私には一緒に時間を過ごしてくれた父はいない、ってことになるけども。
うちの息子達に取っては、一応夫は父親だったんでしょうか……
「育ての親より、血だ」という意見も、劇中には出てきます。
成長するにつれ、本当の親に似てくるものだ、と。
ああ、それも痛感してるなあ。
我が家の長男は父親が違うので、それは歴然とした事実だと分かります…
会ったこともないのに、同じような性格をしていて、しかも行動パターンも似てくる。
長男と、長男の父は会ったことはありませんが、対面したら双方驚くことでしょう。
今は、その事実を知っているのは私だけですが……。
まあ、こうやって、
観た人がそれぞれ、自分のおかれた環境で、自分の家庭内に反映させてあれこれ考える場面の多い映画だったと、思います。
原作を読んで、「上手く行きすぎちゃう?」って思ったのは確か。
でも、映像作品になった時、そのご都合主義的な印象はあまり気にならなかったです。
…「上手く行き過ぎ」って考えてる余裕がなくなっちゃってましたね。
少々、してやられた、という感じ。
映画そのものは、冷静に見ることが出来れば、もしかしたら
短いカットの連続じゃん、って思うかも知れません。
ドキュメンタリー番組に近いような。
でも必要以上にウエットに描かれていないことが、かえって色々と考えさせるきっかけになってるので、上手いこと計算されてるなと思いました。
ん〜〜〜〜、もう一度観たいか?と言われると。
色んなこと考えちゃうから、もういいかなあ………(^^;)
そう言う意味では「良い映画」だったんじゃないでしょうか。
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