今回は、もしかしたら皆さんびっくり、な事を書いちゃうかもしれません。
タイトルに要約されてますが…
私は彼の方と幾度もお会いしたくさんお話を伺って来ましたが
その間、なんとほとんどヤマトの話題に触れる事が無かったんです。
触れる事が無かった、というか…
ヤマトの話に持って行ける状況ではなかったというか。
とてもお話し好きな方ですし
私の実の父より年上ですから
お会いしている間、なにを話題にするかは当然、あちらが主導です。
ご高齢でお独り住まいでしたから、普段あまり人と会話される事も無い…
そこへ来て、大ファンですという私が目の前にいたら。
とにかく、話題は昔の洋画のアテレコ中心でした。
往年の外国の有名俳優の演技のこと、その俳優に声をアテられた経験談。
『評論』とでもいうべきその話の内容は
本当に専門的で、面白かった。
内容をちゃんと理解するには生半可な知識では付いていけず
私はものすごく演劇史や映画史を勉強するはめになりました…(笑)
後々それはとても役に立つようになるのですが
正直なところ、今の声の業界であれほど知識を持っておられるベテラン・中堅は
なかなかいないのではないでしょうか。
あの業界が芸術としてはすでに破綻しているのも、無理からぬことだと思えます。
でも、
島禁止・ヤマト禁止にアニメ禁止な日々は、結構歯がゆかった…というのが
正直なところ(苦笑)
ごくたまに、ご自分から思い出されてヤマトの話をされることはあったのですが
とにかく「本放送は見ていない」のですから、当時のスタジオでの思い出しか
出て来ない。
ということは、
画面の作画のひどさへの苦情、それが思い出のメインだ、ということなんです。
今でも、お茶を濁した表現でよくユキちゃんの中の人が言われますが
とにかく、先輩方はアニメがお嫌いだったと。
こんなのは役者の仕事じゃない、と皆さんが思っておられて
それがとても悔しかった、と。
彼の方はその筆頭みたいな方で、ユキちゃんは当時相当、苦労されたんじゃないでしょうか…
でも、確かにヤマトは酷かった。
そこは、どれだけユキちゃんが擁護しようと
しょうがないんじゃないかと思います。
有名な話ですが
ヤマトの第一作の第一話は島が別の方で最初収録されました。
DVDBOXには収録されている、幻の第一話です。
なので、彼の方が録り直しでアテレコされた第一話だけは、
彩色された絵があったんですが、問題はその後。
とにかく、「絵が無い」。
色分けされた線だけが画面に出て、
その線がび〜〜〜〜〜と続いてる間に台詞を言え、と
それだけの指示。
それだけの画面に、感情を入れろと。
「笑い」という文字だけが画面に出る。そのタイミングで笑え、と。
台本の台詞とト書きだけでは情景は頭に浮かびません。
なのに、よくまあ…皆さん、なさったと、私も同情いたします。
まったく、無茶な話です。
あの温厚な古代君役の方がたまりかねて怒った、というくらいです。
もうちょっと喧嘩っ早いあの方は、「作画監督を呼べ!アテレコは中止だ」と
談判されたとか……(実際にその翌週まで、アテレコは中断されたそうです)
キャストがほぼみんな顔見知りで、
気の置けない仲だったのが不幸中の幸いでしょうか。
それがなかったら、あんな状態でのアテレコは不可能だったに違いないです。
普段、アテレコといえば音楽も映像も完璧な「洋画」を吹き替えている方達ですから、
本当にそれは「無体な」要求だったでしょう…バカにすんな、って怒るのは当然です。
……と、ヤマトに関してはそういう思い出くらいしか出て来ない(笑)
それと、ユキちゃんの真似して「コダイク〜〜ン」って言って
よくからかったもんだよ、とか(おいおい)。
とにかく、話題の中でヤマトとアニメは禁止と言うか
振ってもお話が続かなかったですねえ。
私としては、「2」でのコイバナとかをお訊きしたかったんですが(テレサとのね)
中の人の声がきれいだったね、っていう感想しか出て来ませんでした結局(^^;)
本当は、例の台詞「僕は、あなたが好きだ!」がなぜ
「あなたを置いて行くくらいなら、僕はここに残りたい」に変わったのか、
それをなんとかして思い出して頂きたかった。
まあ、毎度毎度、絵の無い状態でのアテレコだったわけですし
人気が出たのは収録後半年以上経ってからでしたし
その後もなんだかバージョンを変えて色々作られたので、
プロデューサーのご都合主義的な作品だという記憶しかもたれておらず
ファンとしてはホント、歯がゆかったです。
逆に、ボクシングアニメのことはとても良く覚えていらっしゃいました。
「あしたのジョー」を観たいな、とあるとき急に仰ったので
いそいそと第一作目をBOXでプレゼントしました。
ジョーの中の人が勢い余ってよくマイクを倒してたこととか
(俳優さんですからね、動きながら演技なさるんですw)、
段平の中の人が昼間舞台をやって来て、夜に収録だものだから、声がすっかり潰れてて…とか。
彼の方ご自身、俳優時代にボクシング選手役を経験されたことがあり
殴られた時にどういう声が出るのかを体験しておられたので
倒れた時と殴られた時とのうめき声の差をどうやって出すか、ということに苦労しないで済んだ、といったようなことなど。
それでも、劇場版の時は他の俳優に役を持って行かれちゃって、
悔しかったなあ…ということなど。
ここを読んでる方は島のファンが多いと思うので
あのボクシングアニメのジョーのライバル役を彼の方が演っておられたことを知っていても
どうもピンと来ないかもしれませんね。
あの役の声は、「僕の一番低い声を使ってた」ということです。
一番高い声の代表作は「ど根性ガエル」の南先生ですね。
島は中間です。
時たま、「これがあの方の声なの?!」と驚いて、
「イヤイヤ違うでしょ」って思ってしまうことも多々あると、色んな方から伺います。
ポール・ニュ―マンの吹き替えなんて、微塵も島と似ていないですからね。
私でも分からないくらいです。
…とまあ
アニメの話と言えば、ボクシングの方が主流でしたから
なんといいますかね…
どうにかして、島の話をして頂きたいと四苦八苦していた時に
2199がリメイクされることになり。
ですが最初、発進式のナレーションのお話は「お断りになった方が良いと思う」と
私、申し上げたんです(なんと!!真っ向から出演を反対しちゃったんですよ…w)。
というのは
もう、島をやっていらした頃のお声は、出なかったから。
よく、昔のアニメのあの役のあの人は今、って品のない番組があるでしょう。
(大胆MAPって番組でしたかね)
あれに出演された時もそうでしたが、「ああ、こんなに年取っちゃって」という
感想しか出て来ないのに「顔出しを」と食い下がるお笑い芸人さんを見ていて
すごく嫌だった記憶があります。
2199の方も、そういう色物思考でかの方にお声をかけただけだと私は当初思って。
失礼な扱いをされるくらいなら、出演は思いとどまられた方が、と具申(w)したんです。
T北新社へは、「ファン代表の人が『ヤメた方が良い 』って言うんだけど、どんな仕事なの?」と問い合わせて下さったとか……(^^;)
ですが、結局「やってみる事にしましたよ」と連絡があり、
私はホゾをかみながら放映を待ちました(苦笑)。
録音当日は、「ロボット刑事K」のファンです、という人からサインをねだられた、と
まんざらでもないご様子でしたけど。
(ちなみに、ロボット刑事Kの方は、いくつか現物を持っていますし、ネットでも観られるので、ご覧になりますか?とお聞きしたのですが、「いや、いいです(苦笑)」というお返事でした)
入れ歯だから、「サ行」「ラ行」の発音が流れてしまう。
滑舌が心配、と直前まで言っておられましたが、T北新社の制作のかたも
かなり配慮して下さったようで
完成した映像はものすごく島の出番が多いものだったのが印象的でした。
まあ、そんなこんなで
現実には島禁止のヤマト禁止のアニメ禁止なかの方との日々だったのですが
2199をきっかけに「じゃあ、観てみよう」という気になって下さり…
それでやっと、第一作目をすべてご覧戴く事が出来たのです。
それはそれは、喜んで下さいました。
話の展開が唐突なところもあるけど、今考えると面白いね、このアニメは。
「守」さんが出ると場をさらって行くね…とか。
ユキの役は、断然前の人の方がいいね、とか(桑Sさんごめんなさいw)
あと、スターシャの中の人の事は絶賛していましたしね…
ことに、寺島幹夫さんのことをとても懐かしく思い出しておられました。
2008年に亡くなられたのですが、山崎奨さんと言えばお分かりでしょうか。
寺島さんは、第一作目にもあちこちに脇役として出ておられ、そのお声をとても懐かしがっておられました。
沖田艦長についても、色んな(酒の席での思い出やら、スタジオで教えを請おうとしたら「ここは勉強するところじゃねえ、ギャラを稼ぐところだ」と言い放たれて出て行かれてしまったとか、それがとにかくカッコ良かったと、尊敬の)思い出が出て来ました。
古代君の話になると、ヤマトの頃の事よりも
銀英伝の頃の話になってしまい、哀しい思い出ばかり思い出されていたようです。
そういえば、佐武と市捕り物語、の時は「佐武」のオーディションに呼ばれたのですって。
古代君と一騎打ちしたんだけど、負けちゃった、ですって。そう仰ってました。
ともあれ…
第一作目が一番面白かったと当時も仰っていましたから、
今になって観て頂けて、それだけは良かったな…と思っています。
[21回]
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COMMENT
無題
です。差し支えなければ、また教えてください。
今またここで。
島ファンでありながら古代くんの中の人の強烈なファンである私は、先日、「ハーロック祭」でトチローの声を聴いた途端号泣してしまい、その先を観られなかったという体験をしたばかりでした。
今、かの人の思い出話を読ませていただき、こちらルートから聞いていたことどもと合わせて、いろいろ思い出し、さらにぐっときてしまう。
そういえば、「佐武とイチ」も彼だったな。とか。
時折でいいです、私も、もし語ることで昇華できることがあるのなら。
また、話してくださいね。