6月ですね。
楽しい40代も、あと数ヶ月で終わりです…
自分がもう半世紀も生きてるってことに、軽く驚きを隠せないERIです。
地球や自然は、ニンゲンがこんな無意味な生を50年もただ費やす事に、なんて寛容なのでありましょう。…なんちて。
そう言えば某所で2199ベースのERIの絵とかラノベとかが公開されておりますが、あれはもうしばらく前に書いた(描いた)ものなので、最近の2199絡みのモノ限定断筆宣言とは時期を異にしておりますのでご了承くださいね。
(あっ、あと一本だけ、南部絡みの話は書く予定ですが)w
で。
タイトルに書いたのは、もちろん漫画「ファントム無頼」の神田・栗原コンビのこと。
空自二尉のファントム乗りを描いた新谷かおる氏の自衛隊マンガですが、これがソックリなんですよね、有川浩氏の「海の底」の夏木三尉と冬原三尉に。
何で今更その話?ってか。
(^^;)
ええとその。
流行っている(いた)モノを、
流行っている最中には読まない・見ない、がお約束の私。
アニメになったりしてても、その最中には興味ナシ(笑)
ほとぼりが冷めた頃にようやく見る。
ようはアマノジャクなんですけどね(^^;)
なので、図書館戦争シリーズなんかも見て見ぬ振りしてましたが、うっかりブックオフで安い文庫本を見つけて買っちゃったのが運のつき。いや、それだって、実はジェームズ・ダシュナーの「メイズ・ランナー」角川文庫を買うついでに、横にあったから買った、ってだけの話。
けどまあ……
もう、「海の底」。
初っ端から「夏木と冬原、こいつらまるまるファントム無頼の神栗コンビじゃねーか」ってパクリ認定。
というか、そう思ってる人は多いみたいで、ネット探すとそういう意見がたくさん。
もうこれは「わざと?」としか思えないんだけど、作者的にはそうじゃないみたいでハテナ(笑)。
文章自体は、話題になってたほど上手じゃなくて(失礼)時たま「これは誰のモノローグ?」って迷いながら読んだほど書き分けが下手だけど、まあラノベだし、我慢出来る程度。
(でも、メディアワークスの本て、何であんなに誤字脱字が多いんだ……SAOソード・アート・オンライン読んでた時も思ったけど、一冊に5カ所も脱字があるとか、ちゃんとした所じゃ考えられんぞ)
まあ、ラノベだから、ってことでこれも我慢。笑。
最近読んだ大佛次郎の「ドレフュス事件」なんかと比べると格段に読みやすいから、文章の上手い下手じゃないのかもね、物語の魅力ってのはね。
うん、面白かったですよ……海自のカンクリ・コンビの奮闘記。
今月半ばに、私もこの物語の舞台になってる横須賀へ行く予定なので、そういう意味でも面白く読めました。
・・・・ん?
それが言いたいだけ?って?
・・・・かも(^^;)。
この「海の底」も、舞台が横須賀だって裏表紙に書いてあったから、買っただけだったりして(こら)
[5回]
でも、この物語の中では、幾つか気に入った展開がありました。
性格の悪い中坊が、散々周囲を困らせて振り回した挙げ句、何かに気付いて自分で落とし前を付ける顛末。
相手に迎合して謝る事で、その場を収めて来た孤児の女の子が、信頼出来る相手を見つけて心を開いて行く様子。
どっちも、自分だけの物差しで世の中を測るから、なんだか上手く行かないんだ、ということに気がつかせてくれるんですけど、私だって流石に50年も生きてれば、その事にはとっくに気付いているんですよね。
でも、気がついていても、自分ではどうにもならない…そんな事の繰り返しなんです。
私がヤマト2のテレサに惹かれた理由も、そこにあったんだよな、って改めて思い出しました。
意図していないのに、大きな何かに巻き込まれて、自分を否定することでしか、楽になれない人生を歩んできてしまったこと。
どうすればいいのか、なんてのは、自分では分かりすぎるほど分かっているのに、どうにもならない。
テレサは、望んでもいないのに反物質を呼び出してしまう力を背負わされて、1人で生きるしかなかった。
ERIは、あんまり他言した事はないんですが、関東南部でも大きいと言われるあるカルト宗教の草分け、と言われる女性を祖母に持ちました。物心ついた時には、すでに世間の常識とはひどくかけ離れた生活を送らされていて。幼い頃は仕方なく親に引きずられるようにしてその宗教の中で生きていましたが、成長するにつれて解せなくなり、そのカルトから離反するや否や、今度は死んだも同然の子どもとして親からも知人たちからも切り捨てられました。
「普通の感性」を学習するのに、だから長い長い時間とたくさんの誤解をくぐり抜けて来なくちゃならなかったんですね。
だからかなあ。真田さんや斉藤に「変わった人だ」とか悪口言われてるテレサに、妙な親近感を抱きましたよ……だからこそ、テレサが知らない所で、彼女を懸命に擁護する島の態度に感銘を受けた、と。笑。
そんなこんなで、
今でも過去の後遺症のようなものがあって、実はなかなか、本音を人に話す事が出来ません。
1人でいた方が、実は、楽なんです。
孤立するのはまったく苦にならない……そうやって生きて来たから。
カルトに愛想を尽かした父親は、私が幼い頃に不倫して家族を切り捨てて行ったので、母はますますカルトにのめり込み、おかげで私はミョーな男性観しか持てずに育ちました。
結果として、家族を作ってもそれを維持する事も出来なかった訳ですが。
色んな別れがありすぎた昨年以来、
自分では気がつかないうちに、さらに分厚い壁を自分の中に作ってしまっていたようで。
「海の底」の中で、不器用な夏木三尉が、歪な生き方しか出来なくなった女子高生の望に言うシーンがあるんですが…
「謝るな、謝って丸く収める方が楽だろうが、それじゃ解決にならない、強くなれ」(みたいなことを。このまんまの台詞じゃないんですけどね)。
思いがけず、私も同じような事をある人から言われていて、苦笑しました。
キミは自己否定ばっかりしてる、遠慮するのも謝ってばかりいるのも、悪い癖だ、って。
けど、私がそうする理由はごく単純で、
「傷つきたくないから期待しないだけ」なんですけどね…
否定ばかりされて育って来てるから、これ以上どんな些細な事でも、否定されるのは耐えられないわけですよ。
それに、相手が大事な人であればあるほど、遠慮しますよ。
だって、嫌われたくないもの。
相手の負担になるんじゃないか。そうチラッとでも思えば、遠慮しますよ。
謝ってばっかいるのも、同じ理由です。
その方が、楽だから。
悪いのはいつも私。ごめんね、だから怒らないで。
どうにも感性が歪んでて悪いんだけど、どうか私を否定しないで。
そういうことですよね。
まあ…… 今までの50年の中で、一応、こうしておけば余計に傷つく事はなかったんです。
相手に「当然要求してもよかろう」ということを要求しても、叶えてもらえた試しはないから。
例えば、夫に「もっと子どもと話し合って、子どもの気持ちを分かってやって」と願った所で、叶えられた試しはなかった。
恋人に、「頼むから私に嘘をついたり若い女に手を出したりしないで」と願った所で、それも無駄だった。
遡れば、親に対して「私を一番大事だと言って。宗教よりも大事にして。仕事なんかしないでそばにいて」と言っても無駄だったのが始まり…だったから。
相手の顔色に、ちょっとでも「面倒だなあ、疲れるなあ」などの渋るような色を見た途端、私は後悔しちゃうんです。
ああ、負担をかけちゃった。嫌われる、重荷になる。
そんな事になるくらいなら、相手には私の事を「大して大事な存在ではない」って思い続けてもらった方が気が楽だ。……って。
そうしたらね。
その根が深いのは、よく分かった。
だから、とことん付き合ってやる。
どれだけ時間がかかろうと根気よく付き合ってやるよ、
負担だなんて毛ほども思った事はないから。
分かってくれるまで、いくらでも向き合うから。
そう言ってくれたんですよね………
え?
誰が?って?
……横須賀へいっしょに行ってくれる人ですよ。
その方と、蛍の野辺送りもして来ようと思ってます。
あの方とのお別れを、支えてくれた人なので…
最初は何でこんな事になってるのか、自分でも分からなかったんですけど(笑)
何度か自分でも否定して、なに考えてるんだ、って反省したりもして。
もっと条件のいい相手なんて、世の中に掃いて捨てるほどいるだろうに、どうしてあの人なんだろう、って幾ら考えても分からなかったし。
まあ、それはもちろん、相手にとっても同じ事なんだと思いますけど。
私なんて、子ども3人もいて、介護もしてるし、ヲタだし、もう50歳だし。
けど、
もう二度と男なんてごめんだ、って思ってたのに、
なんででしょうねえ……
まあ、ようやく、50年生きて来た私の生も、多少は無駄じゃなかった…って思えるようになるのかな。
そうだといいな………
(笑)。
↑
これは、ディズニー映画「ベイマックス」のエンディング。
いいんだよ、こーゆー気分なんだよ(笑)ほっとけ〜〜〜
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