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カテゴリー「009 RE:CYBORG 感想」の記事一覧

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2199の前に〜

009 RE:CYBORG 出てます(^^)うっふふふ。
5/22リリース。


川井憲次さんの音楽と共に009の簡単史をどうぞ。→ようつべの豪華版のCM

劇場版本編の短いPV


よし、こっちを先に… 
ていうか、よっぽど萌えるんですけど……(裏切り者)



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conclusion GOD' S WAR

009の神山版映画、のベースになったのは一応……「石ノ森章太郎のマンガ」なのですが、サイボーグ009という作品は、実はもう数年前に完結しています。

青い防護服に赤いマフラーの009たちの物語が、最後の闘いに赴く場面まで、一応アニメにもなっている。
でも、その後の一番苦しい場面の連続は、まだ映像作品にはなっていないんですが……
(なってない、というより、できない、のだろう)



作者は30年かかっても「神々の闘い」編を完成させることなく亡くなりました。
ご子息がアイデアメモを引き継いで、14年後に小説として完成させました。

その内容。

普通に、賛否両論あるんだろうなあ、と思います……



……今回の映画版ほどの救いもない完結、なんだもの。

映画を観て、原作にはない「天使の化石」というものを見て。

あれは、神山監督なりの優しさだったのだなあ、などとも思ったERIであります………




小説版の009は、あんまり売れてない(とかいっちゃったらホンット、失礼だけど)しね。
中身もホント、かなり最後の方は惨たらしくて、キャラ萌えだったら耐えられません。

ヤマトで言ったら、「さらば」みたいな終わり方なんですよ。
「さらば」より酷い。
どうしてそこまで彼らを苛むことができるんだと、
あんなのは撤回してくれと、
陳情したい気持ちに駆られます。
読んでてホント、苦しいです……
(キャラのファンの方は、読まない方がいい、とすら思う、マジで)

その上、誰も感謝する人すらいないような、その中での全員の犠牲。

「さらば」みたいにね、ヤマトが(テレサ込みだけど)勝った、って人類に感謝されるような終わり方はしないんですよ。


けど、あの闘いは作者自身の闘いだったと、そう思えば、
賛否両論……などという俗っぽい括り方は絶対に出来ない。
最後まで見届けなくてはならない、って、そういう気持ちになる。
報われなくても、誰にも感謝されなくても、
あの闘いを最後まで戦った00ナンバーサイボーグたちのことを。

あの凄惨なラストに、誰も異論を唱えなかったのは(賛否両論と言われつつも、酷評はされていないんですよね、小説版は)、しかるべき理由があるからなんだと、私は(私も)思う……




その辺をまた、「つづき」につらつら書きます。

で、009に関する記事は、これで一応おしまいにするつもりw。

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隣のおぢさんが…

会社の帰りがけに、ちょいと時間が出来たもんですから。
利用駅の反対口にある映画館へふらふらと……

いや、違うの見ようと思ってたんだけども(笑)

009、また観ちゃった^^;
あはは。



難解難解と自分でも言ってましたが、
2度目に観たら、そうでもなかったことにちょっと驚愕。
……なんだ。
そんなに唐突な感じしないじゃん。

なんで?(w)


初回は多分、予備知識なしで観た…というのも大きいのかもしれません。

まあ、でも………^^;

私みたいな原作の古いファンですら2度目で納得、ってくらいなんだから、
初めて009という作品に触れる人は、やっぱし「は?」で終わるんだろうかなあ。



平日の昼間だというのに、ヤマト観に行った時より人が入ってて嬉しかった、というのはさておき。
やっぱり、終了後「……なんかわかんなかった」と言ってる人が数名おられました(笑)。



さて、ERIは初回も終盤でマジ泣きしたんですけど、
今度は川井さんのサントラ聴いてから行ったからね、もう相乗効果でさらに終盤画面が滲むったら(苦笑)。
そして、メガネかけてますからね、映画の時は。
涙が 拭けないんですようまく。
っつことは、涙がダラダラだらだら、ってことになっちゃってもう。




009は、珍しく主人公のジョーに惚れて読み始め(小学5年生だったかな。ヤマトとほぼ同時期w)、 かといって、彼がフランソワーズとくっつくのはさほど嫌でもなく、 他の00ナンバーたちもそこそこに好きだった…という、珍しく特定のキャラ萌えがない状態でのファンでした。
(ヤマトは完璧にキャラ萌えだったw だって、SFとしてはお粗末だ、っていうのと、メカにしろなんにしろ設定が色々いい加減だったんだもん〜〜〜^^;)


人物設定も当時としては珍しくてねえ。
キャラの国際色が豊かで、しかも各々が祖国ではつまはじきに遭ってるにも関わらず、それでも切ないほどの愛国心を持っていることに驚いたりしてました。
当時のヒーローものって、 なぜかウルトラマンも仮面ライダーも、(いや、スーパーマンとかのアメリカンヒーローたちもw)自国民だけで構成されてたですよね。(…平成のウルトラマンとかは、基地に外国人スタッフもいましたけどねw あくまでも昭和のヒーローもの、って意味ね)
ヤマトもそうでしょ。艦内日本人だけ、というよく考えてみりゃ笑えるお約束。

そこに、例えば四角四面なドイツ人をあざ笑う自由主義のアメリカ人だの、ともに芸術の国と言われるイギリスとフランスは役者とバレリーナ。貧困に喘ぐ(当時)中国とアフリカ…… ジョーの思想がノンポリなのは、彼が高度成長期の日本社会の底辺を這う孤児(父は国籍不明、母は病死)だからで。
そんなお国柄がキーになるエピソードが009のストーリーの元々の魅力でもあった。

今回の映画にもそれが(ジェットとジョー、アメリカと日本だけ…に絞られるけど)色濃く出されてますからね ……って、ああ、また懐古趣味になっとる(w)。



そうじゃないんだよ、そうじゃ。
今回は小難しいことは抜きw。



…………隣に座ったおぢさんがねえ。

いちいち、呟くんですよ……。

解説みたいなことを(爆)。



でも、私には解ってるんで、「ね、しゃべんないでくんない?」って、段々苛ついて来たわけ。


ところが009と004と003が乗っ取った駆逐艦から迎撃ミサイルを発射するあたりから、おぢさん静かになったのね。
ここからがクライマックスだから、良かった〜、って思って画面に集中してたら。

「一基打ちもらしたわ!」ってフランソワーズが叫んだあたりからまた……
最後のテレポーテーションでミサイルに挑むジョーに、キスで別れを告げるフランソワーズのシーンで、ぐしゅぐしゅが大きくなり……^^;

画面にはミサイルに接近する未確認物体。
「!!」と顔を見合わせるハインリヒとフランソワーズ…、
 
宇宙空間で、ジェットの足の噴射口がオーバーヒートして流れ星みたいに砕け散って行くのを観て、おぢさん、ついに嗚咽。

ジョーが「神よ!」って絶叫する頃には、おぢさん、もう滂沱の鼻水。



ええ、はい。

私も涙が拭けなくて困ってましたけどね!
そんなに大げさに洟すすって、泣かなくたって。



上映後、よっぽどそのおぢさんは009のファンだったのだな、って分かって(笑)、
「ともに語り合おうか!」って気分になったんだけども(^^;)止めときました(爆)。

いやあ、ヤマトでもあんなに号泣してる人を見たことがなかったんで、いや〜〜……
もらい泣きしました(って、おい)^^;。

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009 : ストーリーの難解さ(笑)。

手放しで絶賛してるみたいな印象を与えてるみたいですが(w)
いや、そう言うわけじゃなくて。


難解ですよ。
それは予告しときます(笑)。

アニメ版だけしか観てない人には「なんじゃこりゃ?」な展開に「ハテナ?」なラストです。


まず、ジェットの背景(アメリカ国家安全保証局勤務、確か18歳設定だったはずなんですけど…? しかもアメリカ人がアメリカでタバコ吸う吸う・w…でもって、結局政府ぐるみの陰謀に巻き込まれて最後はトカゲのシッポ切り、の憂き目に遭う)……という展開自体が小難しいので、ポカンと見てたら何がなんだか解りません(苦笑)。

で、ジョーの背景も解りにくいです。

加齢しないサイボーグの彼が、同じ姿のまま生き続けているという矛盾をどうにかするために、ジョーは3年ごとに記憶をリセットされて、永遠の高校生として生きている、って設定。
それをやってるのはギルモア博士で、監視役がフランソワーズなんだけどね。

これは物語のキーにもなる設定なんだけど、
でもさ(w) ポケッと見てると「へあ?」ってなります(笑)。
クラスメイトの「トモエ」ちゃんって言うのが出てきますが、あれは脳に負荷をかけられてるジョーが無意識に見てしまっているフランソワーズの影、とでも言うんでしょうか。


で、この二つの難解な設定と、「サイボーグ戦士たちの闘いは善か悪か」みたいな、全人類的問いかけが同時並行で話が進んでく、と。

その全人類的命題のモチーフになってるのが、「聖書の記述」です。


あああ、もうわからないだしょ!!(笑)


ただ、根強い原作ファンには、
ああ、なるほど「神々の闘い」を神山監督が料理するとああなるんだね、っていうのは解る。
そしてさらに、聖書を知っていると解釈の幅が広がってさらに面白いと感じる。

神山監督の偉いなあ、と思うところは、原作の石ノ森章太郎先生(こちらは神山監督よりずっと聖書に関して造詣が深い、蘊蓄がある、それはガチ)の意図しておられたことを、網羅しつつしかし凌駕することはしない……という、深謀な完成度に作品を止めたところ……。
(なんちって、もはやこの感想も難解?w)



原作009の「神々との闘い編」がそもそも難解だ……というのは、有名な話。


実はERIがあれを読んだのは、高校生のころだった。
何度か書いてるので知ってる人も多いと思いますが、私は普段から親の要求で聖書を読まされていたんですよね…。一体、何度全体を繰り返して読んだことか…愛読書でもないのに(笑)。
そんな私にしてみると、009たちが「聖書の神」とおぼしきものたちと闘うあの話は、難解……というよりは「よくぞまあ、挑んでくれた」とでもいうような、なんか胸がスカッとする話だったんです。

何で中断してしまったのか、……そりゃまあ、あのまま行ったら、
難解だって言うのももちろんあるだろうけど、
「神=造物主」に対して「人の創ったもの」の彼らが勝てるはずがありましょうか、で終わっちゃうよねえ?
答え、出てるよねえ。っていうことだからだよね。
だから、「神」と同じ土俵に上がって闘う、ってとこまで彼らを変えて行かなくちゃ無理だ。なるほど、「神々との闘い」編以降、00ナンバーたちは色々なチューンナップを個々に受けて行く様子が描かれるようになります。
(けど、それが彼ら個人として、幸せなのかそうでないのか……と考えると、その答えも明白。チューンナップ続けるのもやり方を選ばないと……って石ノ森先生ご自身がなって行ったのだと思う……)

だけど、ああ、神からしてみれば矮小で卑小で、利己的で不完全な人間だけど、各々の「幸せに生きたい」という願いを尊重することは罪なのだろうか。
「絶対的な善であるらしい神」が、ちっぽけな人間たちを「いらない、不出来」と看做して滅ぼすことに抗うのは「悪」なのだろうか。
人間ですらないサイボーグたちが、その闘いを戦うことは、「善」なのか「悪」なのか。
それが、「神々との闘い編」のコンセプト、だった。

なんとまあ、石ノ森先生はとんでもない挑戦を(しかもマンガで)始めちゃったんだろう、って思ったものです………。


まあ、思想的なところは置いとくとしても、聖書そのものの各エピソードも、何度もハリウッドで映画化されるくらいスペクタクルな上にSFチックだから、マンガだけじゃなくSFバトルアニメ得意のジャパニメーションがモチーフにしない方がおかしい、っていうほどの題材ではあります。だけど、日本アニメではエヴァあたりでやっと追いついた感じ。
そこを、1960年代に すでにマンガにもってきた石ノ森先生は、すごいとしか言いようがない。
ただ確かにあの当時の日本人のスタンダードでは、発想自体が追いつかなかったろう、 と。



さて、009のストーリーを難解にしてるのは、上に書いた「神」の定義(つか、受け止め方)が人によって違う、ってことにも原因があります。

石ノ森章太郎先生が意図した「神」とは、おそらく旧約聖書の「神」がモチーフ。
で、一体旧約聖書の神ってのはどんな存在なのか、ってことですが……

聖書には、旧約聖書と新約聖書、と(言い方が違うものも多々あるようですが、大まかに分けると書かれた時代をもとに、この2つに分かれます)2つ、あります。
こんな蘊蓄は読んでも誰も楽しくないので詳細は省きますが(w)、
聖書に出てくる「神」っていうのは、キリストじゃなくてキリストを含めたすべての存在を創った「造物主」。
人類を創造し、居心地のいい住処を与えつつ、同時に試練も与えてそれをクリアできなければ、簡単に絶滅させることもいとわないのが、聖書に出てくる「神」=「造物主」。
決して慈悲深いだけの「やさしい神さま」じゃない、っていうのがミソ。いやむしろ、かなり無慈悲で残酷でさえあります。

旧約聖書に出てくるだけでも、大洪水で当時の人類を8人以外全部抹殺、ソドムとゴモラの都市を天からの火で全滅させる。崇拝者の忠誠を試すために、病気にしたり親族を殺したり果てはクジラに飲ませたり。「我が民」と呼ぶ国民全体を、敵国に奴隷として何十年もつながれるままにしてみたり(その国民は今でも決まった国土を持たない)……

ただその一方で、聖書自体はすごく真面目に信心深い人たちの心の拠り所にもなってるわけじゃないですか。キリスト教とか教会とか言ったら、もうお人好しな人たちの集まり、っていうか。
右の頬をぶたれたら左の頬も差し出しなさい、っていう?

この、一見「善」に見える思想の根底が実は「裁きの日には全人類の大半を抹殺することもいとわない神」である(旧約聖書の「神」と、新約聖書の「父」とは別物だと言う説もあるようですが、同じだと見るのが普通です。キリストさんは慈悲深いですが、その彼を遣わした父は、実はおっかない造物主だと。)という、すごくキモチの悪いパラドックス。

……これが、「聖書」と「聖書の神」の本質なんですが、
石ノ森先生が00ナンバーたちに課したのは、その「神」との闘いだったわけです。
だからね、なんかスカッとしたのよ。
「全能なる神」の「善」=決して優しいだけじゃなく、天変地異で人類を滅ぼす事もいとわない厳しい造物主」への抵抗、という、「一見バチアタリですらある」ストーリー。
そんな存在に敵うわけがないと思いながら、私は応援してた……009たちを。石ノ森先生を。
 



え? 難解? ああうう(笑)。


まあ、でも。

ひとつだけ、自分的に解釈して満足してるものがあるんだな。

映画全編を通して出てくる「彼の声」。
新約にもあちこちに出てくる、『始めに声ありき、言葉は「彼」なりき』って出だし。

聖書の解釈で言うと、「言葉」と言われているのは「父(神)と子(キリスト)と聖霊」のうち、キリストを指しているのですが(「神」のスポークスマンとして地上に派遣されたのが「子=キリスト」だという解釈が通説)その解釈で行くとわやくちゃになるのでちょっと忘れて〜。

009という物語の生みの親、つまり造物主は、石ノ森章太郎先生。
そして、彼の声がなければ、あの物語は始まらずサイボーグたちも誕生しなかった。
「彼の声」は、石ノ森章太郎そのひとだったんではないか。
その声に動かされ、物語が進み。
けれど、世界や人類の進む先は、「彼」の声を聞くこともなく自滅へと向かっている。
それを食い止めるための闘いを、「彼」は00ナンバーたちに「願いとして」託した、と。
「絶対的な善としての造物主」という「彼」も別線として主題にあるのでしょうが、副次的な意味合いとして「彼の声」というのは石ノ森先生の声でもあったんじゃないだろうか。


それに勝利したか否かは、映画のラストシーンを見ても解らないようになっている。
月の裏側に残された巨大な天使の化石が何を意味するのか、ってのは、きっとご子息の書かれた「完結編」の何かと関係がある、のかもしれない……
その辺は、神山監督の裁量なんだろうと思う。
全部を、神山監督が理屈をつけておしまいにしちゃうわけには行かないだろうし。

「わからない、でいいじゃないか」。
だって、実際に人類がどこへ向かうのかなんて、まだ解らないのだから。

けど、運命に抗うことに、意味がないとは思えない…… 
やっぱそれが、この009劇場版の言いたいことの(一番簡単な項目)のような気がする。





ああ、やっぱりなにをどう書いても、難解(笑)………。

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009 : 音楽

「009 RE:CYBORG」の音楽を担当してる、川井憲次さん。

いやあ…… 実は(笑)。

この方の映画音楽、どうにもツボなんですよねえ(^^)。



他のアニメシリーズの劇伴もなさってるのですが、
私としては、実写版の映画で川井憲次作品に出会うことが多かった。

今までに劇場で出会って惚れたのは、
「デスノート」のスピンオフ映画「L Change the world」。
それから、「GANTZ」シリーズ。
実はどっちも惚れ込んで(w)サントラ買うほどです(笑)。

すいません。

009のサントラも買っちゃいました(爆)



ヤマトの音楽はもう文句なしにサイコウですが、
ただしロックな感じになると、私的には「生温い」んだよな(ひえ〜〜〜すいませんすいませんw)
っていうか、そもそもジャンルが違うんですから比べちゃいけません。
作曲家のご年齢も関係してるのでしょうけど…ロックの種類がそもそも違うわけだし。



川井憲次さんの音楽は、彼自らが「無粋なくらいの大音響で聴いてください」と勧めるような
楽曲が多い……もう、モロに中2病っぽいバトルアクションものにうってつけの曲ばっかりなんですな。

オーケストラも使うし、コーラスも使う。
だけど、すごく攻撃的。
ドラムやベースやキーボードによるデジタルな音使い、がハードでかっこイイ。
モロに中2っぽいバトルアクションかと思えば、すごく情緒的な曲も上手で、
そのギャップにいつも泣かされる。


しかも。

メインテーマを必ずラストのエンドロールのとこに持ってくるんですよね〜〜。


もちろん、そのメインテーマが一番カッコ良くて、一番印象に残る曲なんですが、
劇中にはほとんど使わないんですよ………。

あの順序立てにはいつも「やられた〜!!」って思うんだよなあ(笑)。




今回の009の音楽は、なんかどっかの民族音楽をミックスして「神っぽく」してるらしいですが、それはそれで実験的でいいんじゃない?って言う程度。
聞いててやっぱ、川井節キモチイイ〜!って思うのは、
脳震盪起こしそうなベースとドラムのビートです。
だから、ヘッドホンで聞いてると耳がおかしくなっちゃうくらいの大音響で聴くと快感なのよ〜。
(宮川先生は絶対やらないよね、それw。でも、スキなんだなあw)


それと、今回特徴的なのはエレキギターでしたね〜。

いつもの川井節に、エレキのチャカチャカした感じがすごくはまってた!




まあ、サントラにしてしまうと、「これ、何秒かでいいんじゃない?」っていうくらい単調な曲もあるんだけど……(これも川井さんの特徴w^^;)
失礼なこと言ってしまうと、他の映画の曲とすげ替えても分からないかも、って言うようなのも毎回あるけど、今回はそうでもなかったな。
多分、例のエレキが奏功してたからでありましょう。



素晴らしい劇伴の条件っていうのは、
メインテーマとクライマックスが相乗的にかつ克明に記憶に刻まれること、だと思うんだけど、
最後に流されたメインテーマの主旋律の一部は、ジェットとジョーが元通りの友情を取り戻した瞬間の非情な別れ…を暗示。
画面には黒いバックに白文字のエンドロールしか映っていないのに、
そのシーンがバーンと蘇ってくるように計算されている。



なんか、音楽に関しては
「川井さんか…… ああ、きっとやられる」って思った通り、だった。



やられました。


今、聴いてます…… 

くううっ、カッコイイッ!!!


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022. RE: CYBORG(メインテーマ)4:38  
(SOUND OF 009 RE: CYBORG 川井憲次)

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