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(2)
声にならない怒鳴り声を上げてる俺の背後から、聞き慣れた声がした。
「ちょっと、早く降りてよ」
「へっ?」
振り向くと、そこには白い手術着を来た女性が立っている。
いや、手術着……ではなく、ICUの入院患者などが着せられている、前袷に番号の付いた、ゆったりした薄緑色のウエアだ。
「……森さん?」
「はあ?」
どこからどう見ても、その患者は生活班長の森雪にそっくりだったが、その女性は心外だという顔をすると、俺の横をすり抜けるようにしてエレベーターから降りた。
……って、いつから後ろに乗ってたんだよ!?
「ないわー!!」
俺は両手で思いっきり頬を叩いた、目を覚ませオレ。夢を見てる場合か!
「何してるの?……あなた、誰?」
両手で頬を叩いたから、眼鏡がまたズレた。歪んだ鏡面を通して見える、振り向いた顔は……
「やっぱり、森さん、ですよね?」
その彼女は、森さん、と呼ばれて怪訝そうな顔をした。
だが、森さんは非番だから、……寝間着を着て……いや……あの人、寝間着なんかでその辺うろうろするかな?いや…あの人、どうせ着るならピンクのネグリジェとかじゃないのかな…
あ〜思考が千々に乱れるぅ。
「どうして私を、森さんって呼ぶの?」
必死に眼鏡のツルの位置を直していると、女性は震える声でそう問うた。よく見れば、足元は裸足だ。まるで本当に、ICUから抜け出して来たような。
「え、だって…… あなた、森さんでしょ?一体どうしたんですよ、そのカッコ。非番の間に怪我でもしたんですか?」
「モリ、非番……怪我……?」
混乱したように片手で前髪をかき分けた彼女のこめかみに、包帯が現れる。
――現れる、って!
なかった場所になんか出てくる、これはもう、夢以外の何ものでもないじゃないか!
頭を打ったかなんかしたのは、俺の方だったに違いない。
だが、頭に包帯を巻きICUの入院患者の格好をした森生活班長は、両手でこめかみを押さえたまま、くらりと俺の方へ倒れ込んできたのだ。
「うわっとと!……な、なんで?」
失神してる。
慌てて抱きかかえる。何がなんだか分からないが、差し当たってしなくてはならない事は分かった。この気を失った女性を、適切な場所へ寝かせることだ。
「困ったなあ……医務室へ運ばなきゃ……佐渡先生は」
言いながら見回すと、おあつらえ向きに真横へ開いたスライドドアの中に、ベッドが見えた。そっか、ここは病院の中だったっけ。
(いや、なんかおかしいぞ……おかしすぎるぞ)
夢なんだから狼狽える事はない、と思ったが、いや駄目それ困る!俺は今、第二主砲室へ行く途中で、ドジって頭打って寝てる場合じゃないのだ。
だが、腕に抱きかかえた森生活班長の体重はリアルだった。推定四十三キロ、お姫様抱っこ出来る重さである。
「まったくもう、一体どうしたってんですか。起きて下さいよ、森さん」
仕方なく抱き上げてしまってから、俺は思わず「フフン」と口角で笑った。
森さんについては、古代さんと島さん、その他何人かが狙っているらしいと聞いている。残念ながら彼女は俺のタイプではないから、その恋の争奪戦に関しては静観しているが、このシーンを見たら班長たちはどう思うだろう。
ふふ、まあそんな事はどうでもいいか。
俺は森さんを、数メートル先にぼんやりと見えていたベッドまでお姫様抱っこで連れて行き、そっと横たえた。
森さんがどうして非番の数時間にこんな怪我をしたのかは知る由もないが、まあしばらくすればどうせ佐渡先生が来るんだろう。俺は周囲の景色の異様さにはおかまいなく、なぜかそう思いベッドサイドから離れようとした。
「……待って」
気を失っているとばかり思っていた森雪が、俺を呼び止めた。
「気がつきましたか?」
ホッとして向き直ると、森雪は怖い顔をして宙を睨みつけていた。
なに怒ってんだろう?
「……私の、名前は…モリ、…森、なんて言うの?」
「はあ?」
大丈夫か、この人?
まさか、ほんとに記憶喪失?
「ほんとに、忘れちゃったんですか」
森雪が、呆れ返ってそう訊いた俺をキッと睨んだ。
「忘れたんじゃないわ。……知らないのよ」
「……」
困りましたねえ。非番の間に、一体どうしてそんなことに。
途方に暮れていると、ベッドに横たわる森雪が、突然両手で顔を覆うと大きな溜め息を吐いた。
「……私…… 私は、誰なの?なんでここにいるの……?」
そう言った森雪のくぐもった声には、なんと涙の音がした。
ありゃりゃ、どうしたもんだか一体。
「困りましたね。……僕の事も覚えてないです?」
「……覚えてないわ」
「南部康雄ですよ。古代さんの部下です」
古代さんの名前を出しゃ、何か思い出すかな。
そう思ったが、彼女の表情には一向に変化がない。
俺はさすがに少し心配になって、もう一度ベッドサイドのスツールに腰を下ろした。
「南部さん」
「はい」
「ごめんなさいね……あの、私は誰で、何をしていたのか……改めてちゃんと教えて欲しいのだけど」
「はあ」
どういうわけだか誰もいないこの部屋で、なぜだか森さんに森さん自身の事を説明させられている俺…と言う、夢?
まあ夢なのなら、このかなり理不尽な状況にも説明はつく。しかも意外なことに、次第にこの状況が心地良くなって来た。
森雪はそもそも身体の線が細すぎて、それゆえに俺の好みではない。ボン・キュッ・ボンが俺の理想であるから、少女のような痩せぎすの彼女は今まではターゲット外だった。だがしかし、間近で仰臥する彼女の、切ないまなざしに見つめられているうちに、だんだん自分がそれに魅了されて行くのが分かる。
(生活班長、奇麗な目をしてるなあ……)
俺の趣味がどうあれ、誰もが絶賛する別嬪、だというのは間違いないようだ。目鼻や唇の華奢な造作も長い睫毛も白くてほっそりした手指も、天が二物以上を与えたとしか思えない。古代さんや島さんが狙ってるって言うのも納得だ。
あらら。我知らず頬が熱くなってくる。
「……そう。じゃあ、南部さんは『大砲屋』さんってことね」
森雪が、俺の所属を聞いてそう笑った。
笑ったその顔に、またうっかりノックアウトされそうになる。
「え…ええ、まあ、そういうことです」
波動砲は、撃てないけどね。
それを聞いて、森雪がまた笑った。惹き込まれるような笑顔で。
「うふふ……」
以前の森雪は、こんな風に言っただろうか。こんな風に笑っただろうか。
以前の俺は、こんな風に思っただろうか……この人を可愛い、と。
(なんてこった)
内心頭を抱えた。
これじゃ、古代だの島だのの、その他のミーハーと一緒じゃないか!みんなのマドンナ森雪ちゃん……いや、俺はそんな……
「……ちょっと気持ちが楽になったわ」
森雪がそう言って、俺の手をそっと握って無邪気に微笑んだ。
「ありがとう、大砲屋さん」
「えっ、……あ、はい、どうも」
ドッキーン!
ヘタなマンガみたいな音が、胸の中で鳴った。どうやら、トドメを刺されてしまったらしい、本格的にヤバい。
「あの、僕、そろそろ戻らないと」
「あ……ごめんなさいね」
ドキドキドキドキドキ。
握られた手を振りほどくようにして、俺は慌てて部屋のドアを出ると、闇雲に廊下を歩いていった。
すっかりやられちまった。どういうことだ。
南部康雄、まったく予想もしない空間からの攻撃に、あえなく撃沈か。
(ってことはなんだ。古代、島、その他大勢、を敵に回すってことか?いや……目下最大の敵は古代だな)
そういえば、さっき俺、森雪に古代さんの話はしなかった。
あなた、古代って男に惚れられてますよ。
あなたも、まんざらでも無さそうでしたよ。
忘れちまったんですか?
そう言おうと思いながら、まるで言わなかったのは、一体どうしてだ、俺?
(3)へつづく。
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