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The Planet of Green  ☆ blog

   

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少し、疲れました(^^;)

更新が止まってました。
すみません。

…つか…

実は、ようやく先週くらいまでで思い出のあれこれやら
色んな記憶が一段落して。

そんで、その後に、どっと来ちゃったわけなんでした。


静かに喪に服す、ということのできない性分のようで。
というか、これが自分のショックの受け止め方なんだと。
受け止めてから、盛大に疲れてしまい。

しかも、この頃になって例えば古い友人や職場の同僚などから
「亡くなったんだってね…」などと声をかけられ(ファンだってことは
結構オープンにしていたので)そのおかげで二次・三次とダメージを喰らい。


楽しい思い出はあらかた吐き出した。
あとは、現実を改めて見据えるだけ、なのですが……



それをしようとして、テンパリました。


仕事に行ってる間はいい。
でも、家にいてボーっとしてる時間が良くない。

なので、勢いまたクマ制作に逃げたり。
でも、没頭していたって
1日で一つ作れてしまい、また材料が足らなくて作業は中断。
とはいえ
それ以外のことをしていると、
どうしても思考がそれて辛くなって来たりして。



一日、眠っていようかと思ったり。



でも、夕食のスパゲッティを見ては
「ああ、イタリアンがお好きだったな」とか考えてしまう。
和食よりも洋食がお好きでした。
ご一緒した和食は、うな重とお蕎麦、くらいでした…
あとは洋食で、ピラフとかパスタがお好きでした。
食後にはブラックのコーヒー、しかも苦みのある酸味の少ないストレートを。
そして、数種類のお薬を服用されてました…
チーズケーキがお好きでした。
和菓子はきんつばとかを好まれましたし、
和三盆の甘さがお好きでした・・・




ぐすん






…いかん


すみません。

そんなわけで、
ちょっと疲れました。

少し、ずるけて寝てても良いですか…?

かならず、起きますから。














拍手[11回]

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電車

「電車男」って覚えてますか?
(笑)

2009年の暮れから2010年の上半期、
私は電車男になってました。
エルメスがあの方です。

例えがおかしいかも知れませんが
当時、あの方にお会いしたいと思った私は
あの手この手を駆使して、半年かけて「お会い頂く」ことに成功しました。
その頃、自分のその涙ぐましい努力を「電車男みたい」って思ったんです。
自分を「電車」って呼んだりしてw
衛生兵がいなかったけど…


(^^;)







2009年頃に、あまりにもメディアへの露出が少ないあの方の安否が
ものすごく気になり始め、片っ端からネットの海を捜索し始めました。
2009年には自サイトを立ち上げた…ということもあり
自分はこんなにあのお声が好きだったのに、どうしてファンクラブにも入らず
アニメ雑誌も買わずにいたんだろうと不思議でしょうがなくなったんです。


しかし、捜索の結果は惨憺たるもので
ほんとに、どこにもあの方の消息を伝えるような情報がなかった。

その頃も思いました。

まさか、私の知らない間に……
なんて。


でも、根気よく探し続けていると、ちらほらと情報が入るようになって来た。
みくしのコミュの、ある方から
Nさんという元音響監督さんのブログを教えて頂きまして
その方が、彼の方のことをブログでつぶやいているのを見つけ。


うーむ。

この人のブログに、いきなりコメントをするのはどうだろうか…
第一、このブログは一種のSNSで、閲覧は出来てもコメントするには
メンバーにならないといけない。
しかも、あなたじゃなくてあなたのお友達に用事がある、だなんて
失礼な事を言えたものだろうか………


考えに考えて、私はそのN元音響監督とコンタクトを取るために
そのSNSのメンバーになり、ブログを立ち上げました(そこまでするかw)。

そして、記事を上げつつ、ついにそのNさんのブログに
通りすがりを装ってコメントする事に成功し…(汗)
何度か私信をやり取りした後、思い切って打ち明けたんです。
私は実は、あなたのお友達のあの方のファンで、あの方とコンタクトを取りたいがために
あなたのブログの読者になったんです、って。

謝って、でもこの切羽詰まった想いを正直に綴りました。

そうしたら…


Nさんは怒るどころか非常に面白がって下さり、
僕が彼に、あなたの件を繋いであげよう、と申し出てくれたんです。
それで、ご住所を教えて頂いて、初めてファンレターを出しました。
それが2009年の暮れ、でした。
あの方から届いたお返事には、携帯のメールアドレスと電話番号が書いてありました。



さらに、そこからお会いするまでには半年、かけました。

色んな情報から、アニメはお嫌いだという事を知っていましたから、
島のファンだということは、極力伏せてお手紙を書きました。
(私がお送りしたファンレターの一部は、そのまま「ERIの駄文」というページに
掲載しています……まったく、必死な様子が目に浮かびますね…)

洋画の吹き替えの感想を中心に、毎回便せんに5枚以上書きました。
時には10枚以上になる事も。

すると、面白がって下さったのか
私の知らない洋画の吹き替えや、
ラジオドラマの生テープを送ってきて下さって、
「あなたの感想が聞きたい」と言って下さるようになったんです。

今世の中に商品としては存在していない、あの方の出演作を持っているのは
ご家族を除けば、きっと私だけです…
(偲ぶ会の時に、もしかしたら上映もしくは録音再生などがあるかもしれません)

例えば、
JALの機内上映版の「風と共に去りぬ」。
レット・バトラー役をやっておられます。

これはもう、卒倒ものです。
出演者の大半の手元に渡らなかったものを、彼の方は録音監督から直に貰い受けたとかで
大事に持っておられたそうで…
その台本も見せて頂きました。

NHKSFラジオドラマ「大放浪」
これは音声のみなのですが、主役のツトム・カナコワ・ホクスワースをやっておられます。

その他、貴重な音源を幾つも…



私のつたない感想文を、それはそれは面白がって下さって。





そうしてやっと、6月の半ば。
初めてファンレターをお出ししてから、半年後に
「蛍」をとっかかりにして、お会いできる事になったのです。


が…



私は、何人かのお友達に、ここで改めてお礼を言わなくてはなりません……


初めてのバレンタインに、お贈りするチョコレートを選ぶとき。
付き合って下さった綾乃さん。
覚えてないかも知れませんが、新宿の伊勢丹で随分悩みました。
混雑の中、連れ回してしまったのにお付き合いくださって、ありがとうございました。


それと。

蛍を見に、目白の椿山荘へ行こうと言う前日。
なんと、ビビリな私は紗月さんにお願いして、
「リハーサル代わりに一度いっしょに行って〜〜」と頼んだんです。
覚えてますか?(笑)
帰りに、目白駅の近くのすきや?だったかな、定食屋で夕ご飯を食べましたねえ…

目白駅からバスで、と、しっかりロケハンしたにも関わらず
当日なんと私はアガってしまって目的の停留所で降りそこね(^^;)
あの方といっしょに、椿山荘の一つ向こうのバス停から、坂を上るはめになりました…
(あの頃はまだ、杖もついておられなかったのになあ…。)
でも、お陰さまで喜んで頂けて、素晴らしいゆうべを過ごす事が出来ました。
ありがとうございました。



なんだか、一つ一つ、つい昨日の事のように思い出します……


ああ、
それで…

この次は、なにを書こうと思ったんだったかな。




涙が出て来て、おぼつかなくなりました……




拍手[16回]

拍手コメントへのお返事

ええと…
某お姐さんのように、シャットアウトするだけの気概もないので
コメントも拍手も設置したまま、でしたが…
元気な時も、どちらかというと拍手コメントにはお返事をほとんどしないERIなので
おそらくよく来て下さる方はご存じだろうと、放置していました。



まあ、……ええ…。


というのも
私としては実は、それぞれにどうお返事して良いかがわからず。



「元気出してね」と言われれば、「元気だよ、大丈夫ですよ」と
返すほか思いつかないし
ご自愛ください、と仰られれば「そうですね、ありがとうございます」としか
返しようがないからなのであります…
落ち込むだけ落ち込まないと、浮上も出来ない。
それに、私の場合、色々書いてるのはホントを言うと
「まだ実感がないから」で。

ご家族と、自分の携帯で、直に話をさせて頂きながら
どうしてですか?
なんでこんなに急に?
それ以前はなにか兆候はあったんでしょうか?
私の事を何か仰っていませんでしたか?
………などなど
今になって訊きたかった事はなにひとつお訊きできなかったと思い出して。
段々、辛くなりつつあるところなのです。


なので正直、そっとしておいて欲しいというのはある。
コメントも拍手も、ごめんなさい、どうにもお返事できません…と
言えてしまえばいいのだろうけれど
でもその反面、コメントを下さる方々の優しさに救われているのも確か。
けど、お返事まではする気力がない……


このバチアタリめが、と思わなくもないです…


あれだけ色々吐き出しておいて
実はそれに対するリアクションを見たり読んだりするのが嫌だなんて
何様だよお前は、ですよね。


わかってるって…分かってるってば。

そんで、こんなことを書くと、
また拍手に
「御負担になっていましたね、気がつかなくてごめんなさい」という主旨のコメントが並ぶのじゃないかと心配になってしまい。






あ。

早急に、ひとつだけ、具体的なお返事を

「♪」

もう大丈夫です。知り合いが直に頼んで下さいました。
感謝してます。




それに、もうひとつ。

ヘンな人だとか、思ってはいないですよ…^^
ファンはファンだというだけで繋がっているものです。

私を気遣う内容のコメントではなく、ご自分が誰かに悲しい気持ちを打ち明けたい、
共感してほしい、と思われているのなら、何度でもコメント下さっていいのです。

私がどうにもできないのは
「私への、慰めのことば」へのお返事で
「いっしょに泣きたいよう!」というコメントならいくらでも歓迎です。

…お返事は、勘弁して頂きますが……
見るだけ、聞くだけ、読むだけなら幾らでもお付き合いします。




と、こんなところ。


現実を直視すると、
思考停止してしまいそうになるので
逃げているだけだと思ってやって下さい。

うずくまって泣きたいだけ泣けるのなら
どんなにかラクだろうか。

それが出来ないから、こうしてるのです。












拍手[9回]

島禁止、ヤマト禁止にアニメ禁止な日々

今回は、もしかしたら皆さんびっくり、な事を書いちゃうかもしれません。

タイトルに要約されてますが…




私は彼の方と幾度もお会いしたくさんお話を伺って来ましたが
その間、なんとほとんどヤマトの話題に触れる事が無かったんです。

触れる事が無かった、というか…
ヤマトの話に持って行ける状況ではなかったというか。



とてもお話し好きな方ですし
私の実の父より年上ですから
お会いしている間、なにを話題にするかは当然、あちらが主導です。
ご高齢でお独り住まいでしたから、普段あまり人と会話される事も無い…
そこへ来て、大ファンですという私が目の前にいたら。


とにかく、話題は昔の洋画のアテレコ中心でした。
往年の外国の有名俳優の演技のこと、その俳優に声をアテられた経験談。
『評論』とでもいうべきその話の内容は
本当に専門的で、面白かった。

内容をちゃんと理解するには生半可な知識では付いていけず
私はものすごく演劇史や映画史を勉強するはめになりました…(笑)
後々それはとても役に立つようになるのですが
正直なところ、今の声の業界であれほど知識を持っておられるベテラン・中堅は
なかなかいないのではないでしょうか。
あの業界が芸術としてはすでに破綻しているのも、無理からぬことだと思えます。




でも、
島禁止・ヤマト禁止にアニメ禁止な日々は、結構歯がゆかった…というのが
正直なところ(苦笑)

ごくたまに、ご自分から思い出されてヤマトの話をされることはあったのですが
とにかく「本放送は見ていない」のですから、当時のスタジオでの思い出しか
出て来ない。

ということは、
画面の作画のひどさへの苦情、それが思い出のメインだ、ということなんです。
今でも、お茶を濁した表現でよくユキちゃんの中の人が言われますが
とにかく、先輩方はアニメがお嫌いだったと。
こんなのは役者の仕事じゃない、と皆さんが思っておられて
それがとても悔しかった、と。
彼の方はその筆頭みたいな方で、ユキちゃんは当時相当、苦労されたんじゃないでしょうか…

でも、確かにヤマトは酷かった。
そこは、どれだけユキちゃんが擁護しようと
しょうがないんじゃないかと思います。


有名な話ですが
ヤマトの第一作の第一話は島が別の方で最初収録されました。
DVDBOXには収録されている、幻の第一話です。
なので、彼の方が録り直しでアテレコされた第一話だけは、
彩色された絵があったんですが、問題はその後。

とにかく、「絵が無い」。

色分けされた線だけが画面に出て、
その線がび〜〜〜〜〜と続いてる間に台詞を言え、と
それだけの指示。
それだけの画面に、感情を入れろと。
「笑い」という文字だけが画面に出る。そのタイミングで笑え、と。
台本の台詞とト書きだけでは情景は頭に浮かびません。
なのに、よくまあ…皆さん、なさったと、私も同情いたします。

まったく、無茶な話です。

あの温厚な古代君役の方がたまりかねて怒った、というくらいです。
もうちょっと喧嘩っ早いあの方は、「作画監督を呼べ!アテレコは中止だ」と
談判されたとか……(実際にその翌週まで、アテレコは中断されたそうです)

キャストがほぼみんな顔見知りで、
気の置けない仲だったのが不幸中の幸いでしょうか。
それがなかったら、あんな状態でのアテレコは不可能だったに違いないです。
普段、アテレコといえば音楽も映像も完璧な「洋画」を吹き替えている方達ですから、
本当にそれは「無体な」要求だったでしょう…バカにすんな、って怒るのは当然です。


……と、ヤマトに関してはそういう思い出くらいしか出て来ない(笑)
それと、ユキちゃんの真似して「コダイク〜〜ン」って言って
よくからかったもんだよ、とか(おいおい)。

とにかく、話題の中でヤマトとアニメは禁止と言うか
振ってもお話が続かなかったですねえ。
私としては、「2」でのコイバナとかをお訊きしたかったんですが(テレサとのね)
中の人の声がきれいだったね、っていう感想しか出て来ませんでした結局(^^;)
本当は、例の台詞「僕は、あなたが好きだ!」がなぜ
「あなたを置いて行くくらいなら、僕はここに残りたい」に変わったのか、
それをなんとかして思い出して頂きたかった。





まあ、毎度毎度、絵の無い状態でのアテレコだったわけですし
人気が出たのは収録後半年以上経ってからでしたし
その後もなんだかバージョンを変えて色々作られたので、
プロデューサーのご都合主義的な作品だという記憶しかもたれておらず
ファンとしてはホント、歯がゆかったです。


逆に、ボクシングアニメのことはとても良く覚えていらっしゃいました。
「あしたのジョー」を観たいな、とあるとき急に仰ったので
いそいそと第一作目をBOXでプレゼントしました。


ジョーの中の人が勢い余ってよくマイクを倒してたこととか
(俳優さんですからね、動きながら演技なさるんですw)、
段平の中の人が昼間舞台をやって来て、夜に収録だものだから、声がすっかり潰れてて…とか。
彼の方ご自身、俳優時代にボクシング選手役を経験されたことがあり
殴られた時にどういう声が出るのかを体験しておられたので
倒れた時と殴られた時とのうめき声の差をどうやって出すか、ということに苦労しないで済んだ、といったようなことなど。

それでも、劇場版の時は他の俳優に役を持って行かれちゃって、
悔しかったなあ…ということなど。



ここを読んでる方は島のファンが多いと思うので
あのボクシングアニメのジョーのライバル役を彼の方が演っておられたことを知っていても
どうもピンと来ないかもしれませんね。
あの役の声は、「僕の一番低い声を使ってた」ということです。
一番高い声の代表作は「ど根性ガエル」の南先生ですね。
島は中間です。

時たま、「これがあの方の声なの?!」と驚いて、
「イヤイヤ違うでしょ」って思ってしまうことも多々あると、色んな方から伺います。
ポール・ニュ―マンの吹き替えなんて、微塵も島と似ていないですからね。
私でも分からないくらいです。




…とまあ

アニメの話と言えば、ボクシングの方が主流でしたから
なんといいますかね…
どうにかして、島の話をして頂きたいと四苦八苦していた時に
2199がリメイクされることになり。

ですが最初、発進式のナレーションのお話は「お断りになった方が良いと思う」と
私、申し上げたんです(なんと!!真っ向から出演を反対しちゃったんですよ…w)。

というのは
もう、島をやっていらした頃のお声は、出なかったから。


よく、昔のアニメのあの役のあの人は今、って品のない番組があるでしょう。
(大胆MAPって番組でしたかね)
あれに出演された時もそうでしたが、「ああ、こんなに年取っちゃって」という
感想しか出て来ないのに「顔出しを」と食い下がるお笑い芸人さんを見ていて
すごく嫌だった記憶があります。
2199の方も、そういう色物思考でかの方にお声をかけただけだと私は当初思って。
失礼な扱いをされるくらいなら、出演は思いとどまられた方が、と具申(w)したんです。

T北新社へは、「ファン代表の人が『ヤメた方が良い 』って言うんだけど、どんな仕事なの?」と問い合わせて下さったとか……(^^;)



ですが、結局「やってみる事にしましたよ」と連絡があり、
私はホゾをかみながら放映を待ちました(苦笑)。
録音当日は、「ロボット刑事K」のファンです、という人からサインをねだられた、と
まんざらでもないご様子でしたけど。
(ちなみに、ロボット刑事Kの方は、いくつか現物を持っていますし、ネットでも観られるので、ご覧になりますか?とお聞きしたのですが、「いや、いいです(苦笑)」というお返事でした)


入れ歯だから、「サ行」「ラ行」の発音が流れてしまう。
滑舌が心配、と直前まで言っておられましたが、T北新社の制作のかたも
かなり配慮して下さったようで
完成した映像はものすごく島の出番が多いものだったのが印象的でした。



まあ、そんなこんなで
現実には島禁止のヤマト禁止のアニメ禁止なかの方との日々だったのですが
2199をきっかけに「じゃあ、観てみよう」という気になって下さり…
それでやっと、第一作目をすべてご覧戴く事が出来たのです。
それはそれは、喜んで下さいました。
話の展開が唐突なところもあるけど、今考えると面白いね、このアニメは。
「守」さんが出ると場をさらって行くね…とか。
ユキの役は、断然前の人の方がいいね、とか(桑Sさんごめんなさいw)
あと、スターシャの中の人の事は絶賛していましたしね…

ことに、寺島幹夫さんのことをとても懐かしく思い出しておられました。
2008年に亡くなられたのですが、山崎奨さんと言えばお分かりでしょうか。
寺島さんは、第一作目にもあちこちに脇役として出ておられ、そのお声をとても懐かしがっておられました。

沖田艦長についても、色んな(酒の席での思い出やら、スタジオで教えを請おうとしたら「ここは勉強するところじゃねえ、ギャラを稼ぐところだ」と言い放たれて出て行かれてしまったとか、それがとにかくカッコ良かったと、尊敬の)思い出が出て来ました。

古代君の話になると、ヤマトの頃の事よりも
銀英伝の頃の話になってしまい、哀しい思い出ばかり思い出されていたようです。
そういえば、佐武と市捕り物語、の時は「佐武」のオーディションに呼ばれたのですって。
古代君と一騎打ちしたんだけど、負けちゃった、ですって。そう仰ってました。



ともあれ…
第一作目が一番面白かったと当時も仰っていましたから、
今になって観て頂けて、それだけは良かったな…と思っています。


拍手[21回]

万年筆

三日月小箱さんに公開されていた、彼の方の肉筆のハガキを見ていて
思い出した事があります。



あの方は、普段から万年筆を使っておられました。



下は、最初に戴いた年賀状ですが、
これも万年筆が使われています……





「往く年来る年」のパクリ(笑)
こういう消化し切れてないギャグがお好きでしたね(^^;)……


お若い頃の写真も、可愛らしいです。
なんか、よく男の人に言い寄られたことがあったとか…(^^;)
身長もさほど大きい方ではなく(力石とかやってたので意外に思われるかも知れませんが)
この通りの美少年でいらしたので。
でも、新劇俳優としては
年齢相応ではなく若い役しか来なくて、悔しかったと仰っていました。




万年筆は一種の趣味で、幾つも持っていらしたのだと後から知りましたが
他の方へのハガキやお手紙でも普通に万年筆を使っていらしたんですねえ。

便せんに何枚もお手紙を下さった時も
すべて万年筆の手書き、それも黒ではなく青のインクでした。



この年賀状を戴いた頃の私は、
来月に控えるバレンタイン、そしてその次の月に控えているお誕生日(3月9日)に向けて
一体何をプレゼントしたら喜んで頂けるのかと、それはもう脳ミソをぞうきん絞りにして
考えたものです。


で…

この年賀状とか、お手紙を見ていて、ふっとひらめいた。


これ、万年筆の文字だ!!!
ってことは、きっと万年筆は何本あっても
良いに違いない!!!


この推測は大当たりで、
実を言うと私がお贈りした万年筆なんか安物で(汗)
いわゆる有名メーカーのものをたくさん持っていらしたんです。
が、本当に価値のあるものはご家族やご友人にあげてしまわれたとかで、
私がお贈りしたものを、たいそう喜んで使って下さっていました。


そんな風に、少ない情報からお好きなものは何かとか
ご性格はとか… 飽かず考えたものでした。



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