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カテゴリー「介護の話」の記事一覧

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母の、ピアノ

2013年5月21日に、同じタイトルで日記を書きました。

母のピアノ

母とそっくりの演奏をする「横内愛弓」さんというピアニストの話、でした。

今聴いてみても、やっぱりそっくりです……
とても不思議。


家にはグランドピアノとアップライトピアノの2台がありましたが、グランドの方は売り払ってしまったので、今あるのはアップライトだけになりました。しかも、誰も弾かないので、もう音が駄目になっているでしょう。


邪魔だから売ろう売ろう、と思っているうちに、
結局、あのピアノが母の形見になってしまいました。
2017年10月24日に母は亡くなり、私は10年間の介護を終えました。


あの人は丈夫だから、たぶん私よりも長生きするなんて思っていたけど
まあそんな事はなかったわけです……


ヤマト2202の第三章を観て、罵ってみたりしていたけれど、その記事を読み返す気にもなれず。
拍手コメントに色々頂いていましたが、それにもお返事する気になれず…。
ごめんなさいね、読んでいますが、反応出来ませんでした。



母が亡くなってもうひと月以上経つのに
まだ全然日常に戻って来れません。
納骨の予定も立てていないし、遺影も遺骨もキッチンの一角に置いたまま。
さりとて、そこに母が居るとはあまり思えず。

お墓じゃなくて、海洋散骨をと考えていましたが
今の状態で遺骨までもが目の前からなくなるなんて、とても耐えられず。
……でもやっぱり、そこに母が居るのだとは、思えなくて。

お花だけは、絶やさず飾っていますが
頂いた百合の香りがとても素敵なのに、ああでも、これを母はずっと嗅ぐことが出来なかったし今だってもう嗅ぐことが出来ない、なんて全部マイナス思考になっちゃって。

もう普通に会社にも行っていますしテディベアも作っていますし、イベント出店なんかも出来るようになっているのですが、全部上っ面だけでただ頑張っているだけで、泣きながらふと気がつくと夜中の3時だったりして……




訳あって、こういう励ましの言葉が苦手です。↓

「お母さんはちゃんとあなたのこと、わかっているよ。そばにいて見守ってくれているよ」


……生前の母のことを考えると
それはおそらく無いのです。
母は、我が子よりもカルト宗教を愛していましたし、
介護していた10年間、ただの一度も母から「OK」をもらったことは無かったから。
むしろ母にとって私は「ただただ残念な娘」だったのですから…


あとね…

「どんなに頑張ったとしても、絶対に後悔は残るものなんだから」
なんていう励まし?だか悟り?だか、な言葉掛けも苦手です。


母にとっての「自分(わたし)」を考える時、
どれだけ「してこなかったか」「できなかったか」「だめだったか」
それしか出て来ない。
自分的には、「私は頑張っていた」「やれることを懸命にして来た」と思えるんだけれども、それを母からみて、というのに置き換えると「酷く残念な娘」でしかなかったから。
後悔は誰にでも残る、…そんなら私のはもう最低最悪最凶の後悔、ってことになってしまうから。




私にとっては、まだ、母の介護は終っていないのかもしれません。
私が死ぬまで、この後悔は続くんでしょう…
たとえ死後の世界で母に会えても、母は私を見てもきっと喜ばないんだろうな。

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夢ネコ

77歳になる母。
相変わらず、特養に訪ねても知らん顔、目を開けてもこっちを見もしません。
面倒くさいのか、その気力も体力もないのか(…いや、施設スタッフには反応するし、「ご飯だよ」というとパチッと音がするみたいに瞼を開けるから、そんなことはないんだろう)。


今、小さなネコのぬいぐるみを作ってるんだけど、作りながら度々思う。


猫がとにかく好きだったから、こういうモノをプレゼントしたら反応するのかな。


試しに、市販の掌サイズの猫のマスコットを上げてみた。

車椅子に座ってた母は、そのマスコット猫を握らせてやると、しばらく眺めていたが、……いきなり口を開けてかぶりつこうとした。
「食べ物じゃないから!」
と慌てて取り上げた。


あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜…(><)



等身大ならどうだろう?
さっきのは、小さすぎて、ネコだと分からなかったのかもしれない。

施設には、夢ネコというロボット猫の貸し出しがあって、白いのとグレーの長毛種のコがいる。
動作や鳴き声を見せてもらったが…

私から見ると「うへええ、作り物」という感じしかしないけれど、認知症の高齢者には本物とロボットの区別はつかないんだという。
(………そんなんなっちゃうのか……)とまたもや胸が詰まる。

だってこのネコ、モーター音するし。
抱っこすると内部のプラスチックが分かるし。
鳴き声も電子音…というか、ちゃちな録音の音声でしかない。
でも、こんなんでもいいのか……貸し出し用のネコの口の中に(口も開くようになってる)ご飯つぶがついてるのを発見して取ったけど。
つまり、可愛がってご飯を上げる人がいる、ってことなんだな。
貸し出すと、返すのを嫌がって放さなくなる人もいるんだという………


こんな子供だましでももう分からないもんなのかな、と思いながら、貸し出し用の夢ネコを連れて母の部屋へ行ってみた。




「ミーコだよ」

そう言って白い夢ネコを(それもウソだ。ミーコは黒に白いブチのメインクーンだし暮れに死んだ)抱かせようとしたけれど、やっぱり母は反応しなかった。


作り物、と分かってるのか。
いや、そうじゃなさそう。

………何を持たされてるのか、分からないんだ。




なんというか……………




宗教にすがりたくなる人の気持ちが、ここに至って分かるような気がする。


祈って何かが変わるとは思っていない。
神はいるだろう。
だけど、私の思う神というのは、物理を超越した存在で、
個々の人間の願いや存在になど頓着しない。
慈悲とか慈愛とか、そんなものは人間の勝手な片思いで、そんな物を神は持ち合わせていない。
苦しんで惨めに死んで行く人間が、普通に生きて寿命を全うする人間より圧倒的に多いのがその証拠だと思う。


けれど、時には都合良く、
人間に同情を寄せる神様の存在を期待してみたくなるのだ。
だから、片思いなのだ。

色んな宗教の形があるが、すべて「自己満足」であって
神そのものには届いていない。
つか…
そもそも、仏壇やら十字架やら、人に掃除してもらったり奉ってもらって世話されなくては力を発揮出来ない存在を、私は神とは思わない。
信じている人には申し訳ないけれど、そんな脆弱な存在を神と呼ぶのは、あまりにもつらい。
お参りして小銭を投げてもらって、それで願いを叶えてやろうとは。
一体どれだけ矮小な神なのか…
いや、神ではなくて自己満足、刷り込み、ただの自己暗示。
SFだ。ヤマトのアニメと同じ程度の有り難みしかない。




でも、
母の姿を見ていると、そんな程度の救いでもかまわない、と常々思うのだった。



母の信奉している宗教では
「敬虔なクリスチャンは、死んだら地上の楽園で復活する」と信じられている。

病気は治り、身体障害は回復し、老化は止まり若返る。
いつまでも若く健康なまま、永遠に生きるのだそうだ。
過去に死んだ信者も蘇り、会いたかった人たちに再び会える。
しかもそれは天国でではなく、この地上で、だ。


まったく、今思えば呆れ返るほど真剣に、母もそう信じていた。
母も含め、東大レベルの学歴を持つ親戚知人が糞真面目にみんな信奉していたから
子どもの私も小さい頃は疑っていなかった。
疑うのは、成績が悪いからだと思っていたほどだ。
それほど多角的に検証された書籍が山のように出ていて、片端からそれを熟読させられて来たから、余計にね。
マインドコントロールは恐ろしい。


でも、信じられるのならやっぱり、幸せなのだろうな…と思う。


疑ってかかるようになった私の成績はやっぱり、さして伸びなかった(笑)。
探求したい学者肌の人には、向いてたんだろう、ああいう宗教は。
その上、そこに本物の救いを感じられるのなら。





グダグダと考えていたら、
突然夢ネコが目を覚まして「ニャーー」と啼いた。
私が洟を啜ったから、その音に反応したのかな(おいおい)。
まったく、ロボットのくせに……




何にも反応せず
食べ物にだけどうやら反応する母は、今、生きていて幸せだろうか。

あの脆くなった脳で、今もやっぱり、楽園が来るって信じてるんだろうか。



………なら、やっぱり、
8年前に救急車を呼んでしまった私は、
間違っていたんだろう。

ただただ、済まない、と思う。
あの時死んでいれば、今頃は楽園で復活を待つ幸せな死人だったはずなのにな。
ごめんね、ママ。





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行きたくない

2015年もあと2日とちょっとになりました。
一年て、あっという間ですね。


この日記では楽しそうな事ばかり書いてましたが
当然楽しい事ばかりではないです。


私には今度77歳になる母が居ますが、
69の時に脳動静脈奇形部分破裂と言う珍病で
要介護5の一級障害者に突如なって以来、彼女はずっと施設暮らしです。

倒れてから一年くらいの間にはかなり回復し、
電話だって自分でかけられたし、車椅子を自分で動かして老健の館内を動き回ったり
老眼鏡をかけて本を読んだりしていました。
美容室へも連れて行けとうるさかったので、車で掛かり付けの美容院まで連れて行き、
月イチで髪を染めたりもしていました。
要介護度も5から2まで回復した時期もあったんです。

ところが、徐々に衰えて、今ではまた5に逆戻りのうえ、
もう言葉も話せなくなり、意思の疎通もままならなくなりました。



何でそんな風に衰えていったのか…というと
きっかけは、
入所していた老健での待遇が場所によってものすごく違った…ということです。


療養型病院から老人保健施設に移転したときは、たまたまその老健がとても評判のいいところだった。だから、要介護度も軽くなり、これなら家に引き取ってもやって行けるかも、と思えるほどまで回復しました。

ですが老健というところは入所期間が限られる。

そこで、当然ですが施設を移転しますよね。

老人保健施設の内情は、プロでも横のつながりを持たないので「ほぼ分からない」。
介護関係者の間で「評判は良い」と言われていても、必ずしもそれが本当だとは限りません。

本人との相性もあります。

しかも、選んで見学に行って、最終的に決めるのは、
そんな事にはまるで素人の私です………


その私が、2つ目に選んでしまった施設が、頭を抱えるほどのハズレだった。




そこからでしょうか……

母の認知症がどんどん進み、
自分も家庭内不和に悩まされて二進も三進もいかなくなり
結果的に母の要求を切り捨てた形になった。

「こんなところイヤ、早く出たい」と泣いて懇願する母をすぐに他の施設に移す事も出来ず、元夫の父が癌で亡くなるのを看取り、一方で私の母には何も貢献してくれない元夫が当然のようにタダで私の母の家に住んで息子たちを殴るのを、我慢するしかなかった日々。

一生懸命、また移転先を探して、
もとの施設に戻った時、今度はそこの施設も劣悪な環境に変わっていました。




在宅介護してやれていたら。
そういう思いが、今でもあります。
けど、在宅介護の大変さも知っている。
自分に出来るかと言えば、きっと出来ない……

「ここから出たい」と泣く母をなだめて、毎回どんよりしながら施設から帰る。
母は次第に、そういう泣き言も言わなくなって行きました。
次第に、今まで出来た事が出来なくなって行き、
次第に何もしゃべらなくなって行き…
ついに、今年に入ってからは私が居ても目を合わせることさえなくなりました。
怒っているか、恨んでるのか。
あたしがこうなったのは、あんたのせいだよと、そう言われているように見えます。


うん、半分は、私のせいだな……

母の姿を見る度に、そう思う。


母が可愛がっていた老猫を面倒見ていた頃は、
まだ「母のために何かしている」と言う気持ちがありました。
でも、その猫も、今月初めに死んでしまい。

今自分は、母のために何をしているんだろう。
そう思うと、………何もしてないんです。


だって、母の姿を見ると自己嫌悪に苛まれる。
母をあの姿にしたのは半分は自分の至らなさ、力不足のためだと分かってるし。
しかも、母は私を見ても何も反応しない。目も合わせません。無視です。
部屋に入ってくる介護ヘルパーさんには返事をするのに。

小さい頃、母と祖母は、変なカルト宗教に私を巻き込んで苦しめた。
何をしてもどんな才能があっても宗教行為の妨げになると反対された、
何もかもを妨害されたと母を恨んで家を出たので、私と母との間には元々深い溝がありました。
親を敬わない子どもは神が殺すと散々脅されて育ったので
母が本気でそう思っていれば、今の私も殺されて当然の不出来な子ども。

彼女の信奉する宗教では
そのうちこの世界はハルマゲドンという大規模災害によって滅びるそうです。
信者だけが物理的に保護されてそれを生き延び、信者だけの楽園が築かれる。
(オ☆ムじゃないけどね)
今の世の中でたとえ死んでも、信者はその楽園に物理的に復活するのだと本気で信じている。

私のような、親の宗教を信奉しない子どもは背信者なので、
母が死んでその楽園に蘇る時、私は居ないわけですよ。
「それでいい」と、母は倒れる前から思っていたんですから………

自分を施設に閉じ込めて、こんな目に遭わせた、それが娘。
母はおそらく、半分は確実にそう思っているはず。



これだけ母のために尽力しても
結局そう思われているんだなと、母に会うたび思い知らされる。
「そうじゃない」と、一言でも聴けていればまだしも。
本当はどう思っているのか、結局私は母から聴けないまま、
彼女は口がきけない認知症の年寄りに成り果てました。


あと何年、こういう思いを抱えて
口を利かず無視しているだけの母を介護しなくちゃならないのだろう。

特養に入所している彼女の保護者は、私なので
あの姿を見たくないと思っても、そうはいかない。

でも、私は母の施設に、行きたくないんですよね……
気が滅入る。
行くだけで気が滅入る。
どんなに努力しても母の喜ぶ事が出来なかった子ども時代を思い出すから。
他所のお母さんならすごく喜んでくれるようなことでも(写生大会で金賞を取ったとか、学級委員になったとか)母は一度も喜ぶどころか宗教の邪魔になると言って喜ぶ事を私にも禁じた…
何を考えてるのか分からない母親。
それでも、私のお母さんだという事実。

行っても無視されて、責められているような気持ちにしかならない。

して上げたい気持ちがあっても
母が喜ぶことが分からない。

愛されたかったと思うのに、このままあの人が死ぬまで愛されないのだという決まった未来。




それが苦しくて、
母に会いたくない、と思うのです…








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母の引っ越し

たまには介護の話を。

読んでると心が荒みそうなので
読みたくない人はスルーしてね。











実母が8年前に倒れて、以来介護の日々を過ごしておりますが。

母は右半身麻痺なので、自宅での介護は出来ず、ずうっと施設暮らしです。
非協力的で稼ぎの少ない夫と、小さい息子たちを抱えていたので
在宅介護は早々に諦めましたが、
時間が経てば経つほど母の麻痺や認知症は加速しました。
そもそも、半身麻痺の母を自宅で面倒見るには、自宅の大規模改修と24時間態勢の介護の人手が必要で、そのどちらも無理であることが分かってたんですけどね。
倒れた当初は、出来るものなら自宅へ連れて帰ってやりたいと、考えていましたよ…



施設に預けると、認知症も麻痺も加速しますね…
老健は「機能回復していずれは在宅へ」がうたい文句の施設ですが、
実際は「だんだん動けなくなりボケていく」ようです。
深刻なスタッフ不足のために、一人一人の高齢者のニーズを満たすことができない。
だから、お年寄りたちは我慢する。
我慢していると非人間的な生活になっていく。
虐待ではないにしろ、ヒトとしての我慢の限界を超えると、思考停止した方が楽になるので、そうやってしのいでいるしかなくなるのですね。
それが介護施設での生活です…
(関東南部で、老健5軒、特養1軒をハシゴした平均的な感想です)
だからといって在宅の方が幸せかどうかは、個人差が大きいと思いますが…


昨年、母がほぼ一年間入居していた特養は、家から車で40分程度のちょっと寂しい所にある施設でした。地域から隔離された感が強くて、施設内の何もかもが(施設そのもののハード面は奇麗で整っているのですが、中身の人材、つまりソフト面が)手抜きというかダラけていると言うか、少ない人数で回すためにあちこちに酷いひずみがあると言うか…そんなところでした。


「嫌だったら出て行っていいんですよ?悪い評判立てられたって、うちは困りませんから」


介護施設は、大概そういう態度です。
なぜならば、普通のサービスを期待してゴネたとしても、
こんなとこにいられるか!って怒っても、
在宅で面倒見切れない年寄りは、他にどこも行き場が無いから。
ちょっとした怪我をさせられるとか、衣服を雑に扱われて破けたとか、
その程度では文句が言えません。
そんなんでなくても、例えば…
トイレに行きたい、でも車椅子から便座に移れない、だから介助を待つ。
まあその間に漏らしたりもしますねえ。
上手く便座には座らせてもらえても、今度は呼んでも呼んでもパンツを履かせてもらえない。扉はカーテンだけ、プライバシーはほぼゼロ。
また他に微細な所だと例えば、
手が不自由だから使った歯ブラシを洗えない、洗わない歯ブラシがコップに何時間も差してある、次に使う時に洗うからいいかっていうと、そんなことはないですよねえ…でも我慢させられます。

キモチワルイから、奇麗にして欲しい。
それが一番、通りません。

施設のスタッフの言い分は、(いや、ホントに言うわけじゃないけど)
↓ こうです。

漏らすのならトイレ行こうとせずにオムツ履けばいい、
歯磨きイヤなら虫歯になって歯を抜くはめになればその方が楽じゃん?
眠れないならちょっと強い薬で強制的に眠らせる。それで具合が悪くなったらヤメりゃ良いや。
あ、介助中にちょっと麻痺してる足の膝が擦り剥けちゃった、爪が伸びすぎて布団に引っ掛けて剥がれちゃった、でも隠しておけば良いや。あとで指摘されたら謝ればいいさ、どうせ麻痺してるんだから本人は分からないし。
全部、施設の人手の都合で、そういう扱いをされます。

…この程度で、文句を言っても、無駄なんです。



こんなの。
…もしも保育園だったら親としては怒っちゃいますよね。
子どもを預けていて、そんな扱いを受けたら大激怒ですよ。
でも、老人施設だと怒るだけ無駄なんです。

今まで、何度も手を替え品を替え施設と戦って来ましたが、駄目でした。
通常社会のルールでは動いていない世界ですから、もう母に我慢してもらうしかなくなってます。
その結果が、認知症状の悪化なんですが…




まあね。


ホント。


もう、しょうがないんです。





そんな母ですが、
ようやく、家から徒歩圏内に昨年完成した特養へ
引っ越して来ることが出来ました!

通うのが大変でない、というのは重要なファクターです。
それから、新しい、っていうのも。
それと、駅に近い、っていうことも。
立地条件は重要です… なんでかというと、やっぱり、
駅近の、昔からある住宅地にある施設は、悪い評判立てられると困るんでしょうね。
人里離れた施設では、別に困らないから裁判でも何でも起こせば?っていう態度ですが、今度の所はそうじゃなさそうです(多分)。

…なんて、
なんだかこっちも心が荒んで行くのがやるせないですが

さすがに色々痛い目に遭って勉強しましたから
同時に妙な諦観も持っちゃってるんですよねえ…。


朝からドタバタと引っ越し作業をして、精神的に疲れ果て(^^;)
珍しく午後には昼寝してしまいました。


でも、これで8年に渡る介護に一区切り付きます。

老健は1年以上の入居は出来ないので、常に次の入居先を探す苦労がつきまとっていました。
特養も通うのに車で片道40分じゃ体力的にキツかった。
家から徒歩でも10分ほどの新しい特養は、入居をほぼ丸3年待ちました。
よっぽどのことが無ければ、ここに死ぬまでお世話になるのかな。


ともあれ、ちょっとホッとしてます。








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誰のために投与するの

老健にいる母が、このところ感情的に怒ったり泣いたり怒鳴ったりする、と
スタッフさんから報告があった。

少し前から、夜間特に感情の揺れが激しく、
着替えられなくて泣き出す…ということがあったため、
「夜のおくすり」なるものを処方されていたが、
その「夜のおくすり」ってなんなのか、私は知らなかった。

今回施設からは、夜間だけでなく、昼間もその「おくすり」を処方しますが、いいですか?
という電話があったのだ。


いいですか…? って。

はあ、まあ、お任せします、と私は答えたのだが…
一応、薬の名前は教えてくれた。

『グラマリール』というらしい。


使うのにいちいち家族に断らなきゃならない、っていうことにちょっと不安を覚えたので、
ネットで調べてみた。

……んー、パーキンソンを併発するとか、ちょっとヤメテ、な副作用もあるけど…
即時拒否しなきゃならないような危険な薬でもないらしい…。
というか、正直、わからない。

医師によって意見がマチマチなのだ。
製薬会社のページには「良いことしか」書いてないし。
介護士からみた意見、医師から見た意見、家族から見た意見…
なんか、どうも、バラバラだ。

ご家族が極端に心配してグラマリールをやめさせた、というケースもある。
痴呆が進む、パーキンソンの症状が出た、というのだ。
ん〜〜〜〜…。
確かに、泣いたり怒ったりという「感情の昂り」を抑える薬なので、
ボケ〜っとする、つまり大人しくなる…らしい。

つまり、あれを投与するメリットは、本人のため…というより、
介護する側のため、じゃないのか、と何となく分かる。


認知症が進むのは困るが、泣かれても困る……
どっちを選ぶか、ということだったのらしい。

なるほど、介護する側からしたら、大人しくしてくれてた方が介護が楽だ。
医師も、「自分の親だったら使うかどうか?」と聞かれたら、違うことを言うのかもしれない。
その手の薬、みたいだった。



さて……

私はどうしたらいいんだろう。

妹に電話した。
妹は、母が嫌いなので「いいんじゃない?面倒見てくれてるとこがやりやすいようにした方が」と。
けど、老健の一部では、認知症が進むと受け入れてくれない所もある。
一概に介護スタッフのメリットだけを追求しても、あとあと自分が大変になる。
妹は、施設選びも移動の世話も一度しかやってないから、そんなにあっさりしたことが言えるのだ…


人間らしい気持ちも少しは残っているから、私はちょっといやだなと、…思った。
出来れば、リスクを負わせないような薬の処方を、と言いたいのだが…
まあ、今日日どの薬を選んでも、上に書いたように立場の違う人から見たら
どれも似たようなものなんだろう。



これが、本当に大好きな、大事な相手の身の上に起きたことだったとしたら。

すぐにでも電話して、グラマリールはちょっと、と施設に申し入れているのだろうか。


人として、とか。
娘として、とか。
親孝行、という文字とか。
仕方ない、という気持ちとか……

このまま行くと、「あたしって、冷たいヤツだったのね」みたいな結末になりそうで
非常にイヤなのだが、やはりだからといって?思い浮かぶのは「仕方がないじゃん」という一言で。

……いっそ、私に処方して欲しいと思う……
グラマリール(笑)。



※注

施設で処方される薬に関しては、その投与期間や分量は施設の専任医師が診断の結果決めている。
なので、「飲ませますが」という断りが来る程度なのだ。
それに対して、ネットで副作用を調べたからやめて、という判断を下せるほど
私は専門家ではない。

これが自宅で、処方される薬を私が飲ませる…というのなら、経過観察してその薬が母に合うのかどうか、選ぶことも出来るのだが…そうはいかない。

これは、プラスもマイナスもあって、
施設の介護者に取っては大人しい入所者であれば扱いやすいが、
家族にとっては「お母さん様子がなんか変」ということになるかも知れない、と言うことでもある。

ただ、私は母の世話を直に見ている訳ではない…
異変があっても、気がつけるほどしょっちゅう会いに行ってるわけじゃないのだ。
施設だって同じだ。
一人の入所者を、一人の介護者が専門的に見ているわけではない。
異変があっても、母は結局、誰にも気がついてもらえない可能性がある。
そこが問題なのである……



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