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好きになった理由

The Water is Wide

この歌詞の意味が、まだ上手く理解出来ないんだけれども……
気に入って色んなバージョンを聴いてます。
聴いてると色んなことを思い出すので……






誰かを好きになるのに、理由なんか要らない。

なんて、まるで思春期のオトメのようなことをいつまでも思っていましたが、
やっぱり誰かを好きになるにはそれ相応の理由がありますよね。

でも、その「好きになった理由」を、もしもなくしてしまったら…?

その時はその気持ちが終るときなんじゃないのかな…?
だから、敢えて「なぜ好きになったのか」は考えない、考えないようにする。

今までの私はそうやって生きて来たかもなあ…とふと思いました。




ところが…
この何日かの間に、その「好きになった理由」が本当になくなってしまった。

正確に言うと
その理由だった人が、この世から居なくなってしまわれた、ってことなんですけどね…


拍手[16回]






伊助さんが叔母さまを介護しておられた事は
多分ここを覗いて行かれる方ほとんどが知ってらっしゃったと思います。
私の母も、2008年からずっと要介護度4〜5/一級障害者で、もちろん私は在宅介護ではなく施設にまるまる預けたままの名ばかりの介護者なのですが…
それでも私と伊助さんは間近で面倒を見る近親者ならではの、近親者にしか分からない、介護の世界の理不尽さや切なさや哀しさを数年前から共有して来ました。

男には在宅介護なんてほぼ無理。
実の親でさえ満足に面倒見られる人が少ない、ということは介護士さんたちでさえ常識としているっていうのに、まったく彼は、ホント事も無げにシモのお世話だの褥瘡の手当だのをやってのけていて……

まあとにかく、その吃驚がひとつの「好きになった理由」でした、というのは前にも書いたことがありましたけど。


私の家では私の母が倒れた事がひとつのきっかけで、家庭が空中分解しました。
震災離婚みたいにね。
家族に起こった大変な出来事を助け合って乗り越える、ということは出来ませんでした。
何も手助けしようとはしない元夫に頼る事無く相談すら断られる状況下で、母のこと、家のこと、子どものことなど全部、私が独りで背負う事になりました。
だから多分、男のくせに単独で、施設に預ける介護よりも難易度の高い在宅介護なんかやってる人を、私は否定したかったのかもしれません。



でも、結局そんなのぜんぜん否定出来ないまま、
伊助さんの介護生活は終りました。

彼はブログには叔母さまと喧嘩しながら介護して来た、みたいな記事をよく上げてましたけど、まだ叔母さまがお元気だった頃、私が「K(伊助さんの本名)さんはとっても優しい方ですよ〜」と言ったら「そやろ、優しいやろ〜」と深くうなずかれた事がありました。
その時、彼が目の前に居たら、きっと関西人特有のユーモアで(ほら、部屋がゴチャゴチャで片付いてない時、「奇麗やろ〜(笑)?」なんてふざけて言いますよね?w)そのノリの冗談か、と思うところです。
でも、その時は伊助さんはお台所でお茶を淹れてて、その話を聞いてなかった。
だから、あの「優しいやろ」は本音だったと思うんです。
お若い頃の事は何も知らない私でしたが、親しい方の間では「男前」で通っていた気っ風の良い姐さんだった、という話です… しおらしく介護されてるタイプのご老人ではないわけですから、伊助さんの目の前では本音をおっしゃらなかっただろうな、と。


彼は本当によく気を遣って、叔母さまをお世話していましたからね………

「薬なんか要らん」と頑固に断る叔母さまに、どうにかして薬を飲ませなきゃ、どうにかしてもうちょっとでも食べてもらわなきゃ。
大根とコンニャクはもっと小さく切らなきゃ、叔母がこれ好きやから買って帰ろか、なんか用か(と5分に一度は見に行く)、独りで居させるのは心配やから早く帰ってあげよ、こうしたげよか、ああしたげよか…… 時にはそのあまりの頑固さに、罵ったりもしながら。

私は正直、「あーあ、いつも私は2番目で、叔母さまの次だよね」と
くだらないヤキモチまで妬いてたくらいでした。





でも、この最後の数ヶ月、叔母さまの褥瘡(床ずれ)が酷くなっていた事に気がつかなかった、と、彼は今でも自分を責めてます… 

もっとこうしてあげれば良かった。
もっと何か出来んかったのか。
なんで生きてない。
なんで。…と。



私も余計な事を言っちゃったかもしれない。
私の母の入所してる特養や老健では、自分で寝返りを打てないお年寄りの体位交換(寝返りを打たせてあげる)は、褥瘡防止のために本人が就寝中でも2時間おき程度に必ずやってる、と何度か彼に言いました。
…でも、それが可能な環境じゃなかった事は、私だって知ってたはず。
彼がそうして差し上げられなかったのは仕方のない事なのに、まるで「あなたがしなかった」みたいな風に言ってしまったような気がして。

励ましたり慰めたりするよりも、余計な事ばかり、しでかしていた気がして。



なのに、あんな精神的にキツイ状況の中でも、
またしても自分を抑えてご親戚や叔母さまの知人の皆さんに対して穏やかに振る舞う彼。
葬儀やそれにまつわるしきたりは、故人がどう思っていようと、間近で一緒に暮らしていた者がどう感じようと、喪主や意見の強い方の「気の済むように」執り行われるものです。
故人と同居していた彼が善かれと思った事でも、故人の意思を尊重した提案をしても、簡単に反古にされる。
そんな事一つとっても、私だったらあんなに冷静ではいられないと思いました。

もっと泣いたり嘆いたり暴れたりすれば良いじゃない、
なにもかも自分の中に押さえ込んで。
慰めに行ったつもりが、なんか私の方がハナミズ垂らして目、赤くして。
そうしてまた逆に、私が慰められて…





伊助さんは否定しますけど、私は結構色々、彼から学ぶ事が多いです。
自分がしんどくても、まず先に他人を思い遣る力とか、強さとか。
だから、彼ならこんなときどうするだろう、なんて言うだろう。
そう考える事が多いです。

それに、人と人との出会いは、本当に一期一会。
「また、今度にでも」と思ってしまったら「今度」は無い。
後悔しないように、一瞬一瞬を大事に生きよう…っていうのは、ああこういうことだったのかな……なんて、今さらだけど、そういうことも改めて学んだ気がします。






***



いつでも2番目か〜、とヤキモチ妬いてた叔母さまが虹の橋を渡ってしまわれて、
私は彼を好きになった一番大きな理由をこの世から失いました。

だけど、やっぱり思います。
叔母さまがいらしたから、彼を好きになったんです。
寝ていらした介護用のベッドも、あの部屋にはもうないけど、
叔母さまはずっと私たちの中に居てくださる。
失ってなんかいない、と。


私からもあらためて。
叔母さまにお伝えしたいです…
彼を好きになったのは叔母さまのおかげです。


本当に、ありがとうございます、って。
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