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009 : ストーリーの難解さ(笑)。

手放しで絶賛してるみたいな印象を与えてるみたいですが(w)
いや、そう言うわけじゃなくて。


難解ですよ。
それは予告しときます(笑)。

アニメ版だけしか観てない人には「なんじゃこりゃ?」な展開に「ハテナ?」なラストです。


まず、ジェットの背景(アメリカ国家安全保証局勤務、確か18歳設定だったはずなんですけど…? しかもアメリカ人がアメリカでタバコ吸う吸う・w…でもって、結局政府ぐるみの陰謀に巻き込まれて最後はトカゲのシッポ切り、の憂き目に遭う)……という展開自体が小難しいので、ポカンと見てたら何がなんだか解りません(苦笑)。

で、ジョーの背景も解りにくいです。

加齢しないサイボーグの彼が、同じ姿のまま生き続けているという矛盾をどうにかするために、ジョーは3年ごとに記憶をリセットされて、永遠の高校生として生きている、って設定。
それをやってるのはギルモア博士で、監視役がフランソワーズなんだけどね。

これは物語のキーにもなる設定なんだけど、
でもさ(w) ポケッと見てると「へあ?」ってなります(笑)。
クラスメイトの「トモエ」ちゃんって言うのが出てきますが、あれは脳に負荷をかけられてるジョーが無意識に見てしまっているフランソワーズの影、とでも言うんでしょうか。


で、この二つの難解な設定と、「サイボーグ戦士たちの闘いは善か悪か」みたいな、全人類的問いかけが同時並行で話が進んでく、と。

その全人類的命題のモチーフになってるのが、「聖書の記述」です。


あああ、もうわからないだしょ!!(笑)


ただ、根強い原作ファンには、
ああ、なるほど「神々の闘い」を神山監督が料理するとああなるんだね、っていうのは解る。
そしてさらに、聖書を知っていると解釈の幅が広がってさらに面白いと感じる。

神山監督の偉いなあ、と思うところは、原作の石ノ森章太郎先生(こちらは神山監督よりずっと聖書に関して造詣が深い、蘊蓄がある、それはガチ)の意図しておられたことを、網羅しつつしかし凌駕することはしない……という、深謀な完成度に作品を止めたところ……。
(なんちって、もはやこの感想も難解?w)



原作009の「神々との闘い編」がそもそも難解だ……というのは、有名な話。


実はERIがあれを読んだのは、高校生のころだった。
何度か書いてるので知ってる人も多いと思いますが、私は普段から親の要求で聖書を読まされていたんですよね…。一体、何度全体を繰り返して読んだことか…愛読書でもないのに(笑)。
そんな私にしてみると、009たちが「聖書の神」とおぼしきものたちと闘うあの話は、難解……というよりは「よくぞまあ、挑んでくれた」とでもいうような、なんか胸がスカッとする話だったんです。

何で中断してしまったのか、……そりゃまあ、あのまま行ったら、
難解だって言うのももちろんあるだろうけど、
「神=造物主」に対して「人の創ったもの」の彼らが勝てるはずがありましょうか、で終わっちゃうよねえ?
答え、出てるよねえ。っていうことだからだよね。
だから、「神」と同じ土俵に上がって闘う、ってとこまで彼らを変えて行かなくちゃ無理だ。なるほど、「神々との闘い」編以降、00ナンバーたちは色々なチューンナップを個々に受けて行く様子が描かれるようになります。
(けど、それが彼ら個人として、幸せなのかそうでないのか……と考えると、その答えも明白。チューンナップ続けるのもやり方を選ばないと……って石ノ森先生ご自身がなって行ったのだと思う……)

だけど、ああ、神からしてみれば矮小で卑小で、利己的で不完全な人間だけど、各々の「幸せに生きたい」という願いを尊重することは罪なのだろうか。
「絶対的な善であるらしい神」が、ちっぽけな人間たちを「いらない、不出来」と看做して滅ぼすことに抗うのは「悪」なのだろうか。
人間ですらないサイボーグたちが、その闘いを戦うことは、「善」なのか「悪」なのか。
それが、「神々との闘い編」のコンセプト、だった。

なんとまあ、石ノ森先生はとんでもない挑戦を(しかもマンガで)始めちゃったんだろう、って思ったものです………。


まあ、思想的なところは置いとくとしても、聖書そのものの各エピソードも、何度もハリウッドで映画化されるくらいスペクタクルな上にSFチックだから、マンガだけじゃなくSFバトルアニメ得意のジャパニメーションがモチーフにしない方がおかしい、っていうほどの題材ではあります。だけど、日本アニメではエヴァあたりでやっと追いついた感じ。
そこを、1960年代に すでにマンガにもってきた石ノ森先生は、すごいとしか言いようがない。
ただ確かにあの当時の日本人のスタンダードでは、発想自体が追いつかなかったろう、 と。



さて、009のストーリーを難解にしてるのは、上に書いた「神」の定義(つか、受け止め方)が人によって違う、ってことにも原因があります。

石ノ森章太郎先生が意図した「神」とは、おそらく旧約聖書の「神」がモチーフ。
で、一体旧約聖書の神ってのはどんな存在なのか、ってことですが……

聖書には、旧約聖書と新約聖書、と(言い方が違うものも多々あるようですが、大まかに分けると書かれた時代をもとに、この2つに分かれます)2つ、あります。
こんな蘊蓄は読んでも誰も楽しくないので詳細は省きますが(w)、
聖書に出てくる「神」っていうのは、キリストじゃなくてキリストを含めたすべての存在を創った「造物主」。
人類を創造し、居心地のいい住処を与えつつ、同時に試練も与えてそれをクリアできなければ、簡単に絶滅させることもいとわないのが、聖書に出てくる「神」=「造物主」。
決して慈悲深いだけの「やさしい神さま」じゃない、っていうのがミソ。いやむしろ、かなり無慈悲で残酷でさえあります。

旧約聖書に出てくるだけでも、大洪水で当時の人類を8人以外全部抹殺、ソドムとゴモラの都市を天からの火で全滅させる。崇拝者の忠誠を試すために、病気にしたり親族を殺したり果てはクジラに飲ませたり。「我が民」と呼ぶ国民全体を、敵国に奴隷として何十年もつながれるままにしてみたり(その国民は今でも決まった国土を持たない)……

ただその一方で、聖書自体はすごく真面目に信心深い人たちの心の拠り所にもなってるわけじゃないですか。キリスト教とか教会とか言ったら、もうお人好しな人たちの集まり、っていうか。
右の頬をぶたれたら左の頬も差し出しなさい、っていう?

この、一見「善」に見える思想の根底が実は「裁きの日には全人類の大半を抹殺することもいとわない神」である(旧約聖書の「神」と、新約聖書の「父」とは別物だと言う説もあるようですが、同じだと見るのが普通です。キリストさんは慈悲深いですが、その彼を遣わした父は、実はおっかない造物主だと。)という、すごくキモチの悪いパラドックス。

……これが、「聖書」と「聖書の神」の本質なんですが、
石ノ森先生が00ナンバーたちに課したのは、その「神」との闘いだったわけです。
だからね、なんかスカッとしたのよ。
「全能なる神」の「善」=決して優しいだけじゃなく、天変地異で人類を滅ぼす事もいとわない厳しい造物主」への抵抗、という、「一見バチアタリですらある」ストーリー。
そんな存在に敵うわけがないと思いながら、私は応援してた……009たちを。石ノ森先生を。
 



え? 難解? ああうう(笑)。


まあ、でも。

ひとつだけ、自分的に解釈して満足してるものがあるんだな。

映画全編を通して出てくる「彼の声」。
新約にもあちこちに出てくる、『始めに声ありき、言葉は「彼」なりき』って出だし。

聖書の解釈で言うと、「言葉」と言われているのは「父(神)と子(キリスト)と聖霊」のうち、キリストを指しているのですが(「神」のスポークスマンとして地上に派遣されたのが「子=キリスト」だという解釈が通説)その解釈で行くとわやくちゃになるのでちょっと忘れて〜。

009という物語の生みの親、つまり造物主は、石ノ森章太郎先生。
そして、彼の声がなければ、あの物語は始まらずサイボーグたちも誕生しなかった。
「彼の声」は、石ノ森章太郎そのひとだったんではないか。
その声に動かされ、物語が進み。
けれど、世界や人類の進む先は、「彼」の声を聞くこともなく自滅へと向かっている。
それを食い止めるための闘いを、「彼」は00ナンバーたちに「願いとして」託した、と。
「絶対的な善としての造物主」という「彼」も別線として主題にあるのでしょうが、副次的な意味合いとして「彼の声」というのは石ノ森先生の声でもあったんじゃないだろうか。


それに勝利したか否かは、映画のラストシーンを見ても解らないようになっている。
月の裏側に残された巨大な天使の化石が何を意味するのか、ってのは、きっとご子息の書かれた「完結編」の何かと関係がある、のかもしれない……
その辺は、神山監督の裁量なんだろうと思う。
全部を、神山監督が理屈をつけておしまいにしちゃうわけには行かないだろうし。

「わからない、でいいじゃないか」。
だって、実際に人類がどこへ向かうのかなんて、まだ解らないのだから。

けど、運命に抗うことに、意味がないとは思えない…… 
やっぱそれが、この009劇場版の言いたいことの(一番簡単な項目)のような気がする。





ああ、やっぱりなにをどう書いても、難解(笑)………。

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No Title

  • by みわ
  • 2012/11/13(Tue)22:22
  • Edit
 聖書について何も知りませんでした(汗)が、ERIさんのレクチャーはわかりやすーい。

昔アニメの009に関わったあるスタッフがオリジナルの別作品を制作してますが、その作品にも「神」の存在があります。009の影響があるのかもとびっくり。ERIさんに教えて頂いた知識を元にその作品を読み解くとおもしろそう…。

Re:No Title

  • by ERI@Endorphin
  • 2012/11/15 01:38
>みわさん

いえいえ、思いついたままを書いただけなので…(汗)
熱心な宗教家の方から見ると、バチアタリな意見かもしれません。
鵜呑みにしちゃ駄目ですよ〜〜^^;

難解は少数精鋭にしてほしかった(笑)

  • by 77maru77
  • 2012/11/14(Wed)08:15
  • Edit
石ノ森章太郎=創造主。この作品世界で、それは正解かもしれないですね。
そう考えると、ラストで彼らが戻ってこられたのは、わからないでもない。
創造主にとって00ナンバーは、自らの怒りや疑問や訴えを世界に投げかける手段であり、希望でもあるわけだもんなぁ……。
自分の作った世界で生きる「創造主」って、万能だけれど、無限のぐるぐる(ぐるぐるって何だ・笑)の中で実はすごく孤独なんじゃないか、なんて思ったりしました。(本当の宗教的「神」は、そこも超越した存在なのでしょうけど)
私はこの作品に、ちょっとヒヤッとするようなと静けさを感じたのですが、その原因は孤独、なのかもしれないなぁ……。

ところで、このあたりのテーマに関わる難解さは、ぜんぜんオッケーなんですけど(笑)。

それ以外の部分で、ちょこちょこ「わからん」があって、見てて気持ちにストップかけられちゃったんですよねー。
特に宣伝にも使われていた「ジョーは敵か味方か」が、どうにも消化不良です(笑)。
例えばギルモア博士がジョーに銃を向けるシーン。冒頭で瞳に光が戻って(笑)フランを助けた時点で、ジョーはいつものジョーに戻った、とこちらは理解してるから、博士や周囲の言動が唐突に見えちゃった。
爆撃機を止めに行くときも、ジョーがわざと敵と取れるような言動でジェットに接するのが、よくわかんない。あの時2人の目的は一致してたと思うんですけども。
挙げればまだまだあるのですが、細かい「なんでそうなる?」「どういう意味?」が多くて、肝心の“明確にならなくていい”メインテーマまで「わからん」の中に埋もれてしまった感があります。
クリアに見せる部分と考えさせる部分、2時間ちょいの映画作品としてもうちょっと整理してくれてたらなぁ、と思うんですよね。

Re:難解は少数精鋭にしてほしかった(笑)

  • by ERI@Endorphin
  • 2012/11/15 01:59
>77maru77さん

神山監督!! こんな意見が来てますが、どうにかして下さい(笑)!!
なんちって。

石ノ森先生の、「ジュン」っていうマンガ、知ってますか?
実験的なコミックで、難解というより「ひたすらはてな?」の連続。
でも、その世界の持つ不思議さに魅せられ、当時学生だった私は大枚はたいてハードカバーの初版本を買い。
「ハテナ?」を飛ばしつつ、しかし傾倒した……という記憶があります。

「解るヤツだけついて来い!」なんですよね、石ノ森作品の6割が。
あのまるまっちい絵なのに、そういう題材を選ぶから、余計混乱する(w)。
だから、実を言えば神山さんが入って、分かり易くなったんじゃないか、とも思ったりして。


>私はこの作品に、ちょっとヒヤッとするようなと静けさを感じたのですが、その原因は孤独、なのかもしれないなぁ……。

バトルアクションものなのにね。
でも、彼らの闘いは孤独なものだから、その通りじゃないですか?
観賞後に寂しくなる……ので、いいんだと思うな。
ちなみに、私は。ラストのヴェネツィアのシーン。
少なくとも、ジョーとジェットは亡くなっている、と思うんですよね……ピュンマとグレートも、かな…
戻って来れたのではなくてね。


>特に宣伝にも使われていた「ジョーは敵か味方か」が、どうにも消化不良です(笑)。
>例えばギルモア博士がジョーに銃を向けるシーン。冒頭で瞳に光が戻って(笑)フランを助けた時点で、ジョーはいつものジョーに戻った、とこちらは理解してるから、博士や周囲の言動が唐突に見えちゃった。


これは…… 

ええと、原作「ヨミ編」を再度読み直してみればヒントの山ですが… 読んだことがない場合は、説明が欲しいかもね……「解ってるファンへの、説明なし、というレベルの高い贈り物」だとでも言いますかね。
博士の行動が「最もだ」と思えたファンと、「仲間なのになんで?」になっちゃうファンとの境界は、そこかも。


>爆撃機を止めに行くときも、ジョーがわざと敵と取れるような言動でジェットに接するのが、よくわかんない。あの時2人の目的は一致してたと思うんですけども。

ここは…
単純にクライマックスへの伏線でもあるのですけど…
ジョーとジェットとの関係性を、原作「ベトナム編」まで遡って見てみるとか… ジョーは、ジェットをかばってああ言ってたんですけど、なるほど、「へ?」ってなっちゃいましたか。
監督!!
もうちょっと分かり易く作ってあげないと駄目みたいですよ!!(笑)


>挙げればまだまだあるのですが、細かい「なんでそうなる?」「どういう意味?」が多くて、肝心の“明確にならなくていい”メインテーマまで「わからん」の中に埋もれてしまった感があります。
>クリアに見せる部分と考えさせる部分、2時間ちょいの映画作品としてもうちょっと整理してくれてたらなぁ、と思うんですよね。

まあ、「難解の巨木」の上に「難解の枝葉」っていうのが石ノ森先生の好みだったといえば、それまでですw
で、 そういう構成に魅力を感じてた 私も、相当なひねくれ者です(^^;)

けど、神山監督!!
あれじゃ頭が疲れます、もっと整理してならして見せて下さい、ってよ!!(丸投げ・笑)。

わはは

  • by 77maru77
  • 2012/11/15(Thu)07:19
  • Edit
ERIさんのお話で、ちょっとずつ納得できました。
監督への文句(笑)をそのまま投げて、すみません(爆)。

009……に限らず、石ノ森作品は難解さが魅力、なんですね。監督はそこに忠実に(むしろややわかりやすくして)この映画を作った、と。
ラストシーンの解釈も、そうか、そう考えるとまた違った気持ちが沸き上がってきますね…。
実際、あそこは「もしかしたら」(←ERIさんと同じ考え)という気持ちが心の隅っこにあって、でも自分でそれを一生懸命消してたな、ということに気付きました。怖かったのかもしれないなぁ。怖い、とも違うかな。上手く言えないですけども。

勉強して「わかって」から、もう一度見ると、だいぶ印象も変わりそうです。
「彼らは仲間なのに」とは思わなかったんですけど、細かいハテナが先行してしまったために、あのあたりのジョーをめぐる葛藤とか確執に共感し損なっちゃって、勿体無いことしたなぁと思ってます。
他にもわかんないとこ、いっぱいあったんですよー。今度、解説してください(笑)。

もうひとつ、おかげでわかったこと。
平成仮面ライダーの、特に初期(クウガとか響鬼除く)に感じる「わざと分かりにくくして自己満足してる感」(笑)は、原作者カラーへのリスペクトの結果でもあるんだな、と思いました。
視聴者の評価や好みが割れるのも、結局、この点なんですよね。
真似するだけでは駄目。とても難しいことなんだろうと思います。
石ノ森章太郎の天才的な部分にどこまで迫れるか、後進は常に挑戦してるのかもしれないですね。

Re:アギト

  • by ERI@Endorphin
  • 2012/11/16 16:08
>77maru77さん

わはは。

009の世界観は、仮面ライダーでいうなら、アギトの世界に共通するものがある、らしいです。
どっかの評論家が言ってたんですが…^^
善も悪も欲も迷いも取り混ぜて全部持っているから人間なんだ。
人類が、神と自称する存在の思うように進化しなかったからといって、すべてを抹殺するのは許せない。
己を殺してそれに挑むのがサイボーグ戦士たちで、
己を解放してそれに挑んだのがアギトたちだった、ってな解説がね、ありました。
私、逆にアギトは見てなかったんで、よく解らんのですがw。


>009……に限らず、石ノ森作品は難解さが魅力、なんですね。

それを「天才」と言う人も居ましたが…
「難解」だと、分かんないから「天才」って言うしかなかっただけなのかも(おい)^^;
結局、その世界観が心地いいか、そうでないか、って事に尽きると思いますけどね。

>ラストシーンの解釈も、そうか、そう考えるとまた違った気持ちが沸き上がってきますね…。

原作009の「完結編」(作者のご子息が引き継いで完結させた小説版)では、全員が死亡、っていうラストなんですけども(ギルモア博士含む)、ニュアンスとしては今回の映画と同じで、最後に全員が望んでいた理想郷で暮らしているシーンで終わります。それが現実なのか、夢なのか、の説明はもちろんありません。

小説版の完結編もそうなんですが、
009たちも、読者も、そして作者までもが「闘いの全貌が分からない」状態で物語が進むのが特徴で、それこそ「は?なんで?」っていう印象が強いんです。
物語としては、起承転結や伏線の処理がきちんとしている方が感情移入もし易いし納得して読み終えることが出来るのですが、石ノ森章太郎って言う作家はそれを敢えて「しない」という人でした(笑・いや、そう勝手に私が思ってるだけですが)

だって、どんな戦争も起承転結なんか持たないし伏線の処理なんかありません… 物語じゃないからです。
009には、もしかしたらそういう意味でのリアリティを求めてたんだと思う……w マンガなのにね。

整理して見終わることを期待してはいけない(おいおい)作品を生み出す天才だった、と言い換えられるのかもしれないです(笑)。
だから、石ノ森先生って器用貧乏、って言われてたそうですよ。ヒットメーカー、ではなかったですし。

彼のような作家は、善くも悪くもこの先ほとんど出てこないんじゃないかなあ、とも思います……
重ね重ね、60歳での早世は惜しいことでした………(合掌)。

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