忍者ブログ

The Planet of Green  ☆ blog

   
カテゴリー「島大介(宇宙戦艦ヤマト2199)」の記事一覧

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

新OP観た〜


……………MAD?(^^;)

TV版2199の新OP観ましたけど、最初なにが始まったんかと(汗)
だけど、10秒くらいで慣れた!

笑。


っていうか……

こういう内容になるって知ってたら、
最初から2199はこのOPでも良かったんじゃ?って思ったぞ。
つーか、つーか。

………どうしても旧作がネ申だもんだから比較しちゃってたけど、
オマージュ意識を払拭して新しいモノだと思えば、
こういう雰囲気でイッちゃっていいんじゃないの?!
ヤマトっぽくはないけど、今時アニメとして正しい方向に向き始めた気がする…(笑)
深夜アニメ見慣れてるとさらにそう思う確率高いよね、きっと。
ヤマト観るの、コレがはじめて、って人なら、
旧作のオッサンコーラスから始まるアレより、こっちのOPの方が全然カッコイイでしょー!


ただでさえ格調高い宮川音楽を「使わなくちゃならなかったから」2199は。
だから、ああいうOPを劇場で使うわけにはいかないだろうけど、
いや〜、ERIは第7章劇場版であれが流れてもイイな。



うーん…

手放しでイイと言ってるわけじゃなくて(笑)
まあ賛否両論ありそうなOPだからさ〜。

いい塩梅に差別化が進んでるっていうか?

旧作の醍醐味は、技術的には今時のに比べたら初歩的な映像だけども、
ヤマトの艦の重さとか大きさを表現するために「わざとゆっくりどっしり」見せていたトコロだと思うんだよね…
島が「ヨーソロー」っていって方向転換するシーンも、
画面をはみだして目の前を通過する船体のアップも、
見ていてもどかしくさえあるようなヤマトの動き。
けどそう言う表現があの船を重厚っていうか荘厳っていうか、そんな風に見せていた。
逆に言うと、だから機動性にはそれほど優れている印象がなかったよね(笑)。

対して、2199はとにかく機動性が高い。
ヤマト本体にしても戦闘機にしても、全部すっごく取り回しがいい感じがする(笑)。



なんだろう…
車を引き合いに出すとさ、
30年前はマニュアル車が普通だったじゃん。
パワステなんて、最初はなかったんだよね…

っていうか、外車のスポーツタイプ、ゴルフとかアウトビアンキとかは、
左足のクラッチがすっごく重くてしかもハンドルも重い。
200キロ走ると運転してる方もかなり運動になった。
…でも、加速とかコーナリングとかの安定感は抜群で
ドライバーと車が本当に『一体になって走ってる』って感じがした。
当然、運転者次第で車の性能の引き出し方が違って来て、
同じ車種でも別物みたいに見える、って現象が本当にあった…
これが、いわば旧作のヤマトの世界観、かなあ。


でも、今は体力使わずに誰でも運転出来る車が一般的でしょう。
ハンドルは片手で回せるし、クラッチなんかないから片足だけで転がせる。
誰が運転しても一定以上の機動性能が約束されている。
2199の世界観は、コレ、なんだよね。
スマートだしハイクオリティなのよ。
……でも、味がない(笑)。
一定以上のカッコ良さを約束するけど、それは今時アニメの一定水準のカッコ良さであって、
「このアニメだけにしてやられた!」っていう醍醐味は、ない。



新OPにしても、
例えば今人気の「進撃の巨人」のOP(1stシーズン)見てても分かるけど、
同じ系統なんだよね〜。
だとすると、深夜アニメ見慣れた一見さんの若い視聴者からすると
「今頃時流を意識し出したのか」ってことにもなっちゃうんじゃないか、と(^^;)


まあ、細かいことはどうでもいいや。
映像はMADそのものなので、島が合わせて1秒も出てないんじゃないか、ってことには目を瞑る(苦笑)。

うん、いんじゃないの?
カッコイーと思うよ。



拍手[7回]

PR

チャラスケに関する第6章の………


もうなんだかネタバレかまわず書いてるなあ。

しかも、どれだけ毒舌吐いても誰も私を怒らないのは何でだろう…
お前は間違っている!!って叱って欲しいくらいだ……



まあ、今回は純粋に島について。

とはいえ。
チャラスケに関しては、ホンットネタバラしたくてもバラすネタがない。
だから、安心して読んで下さい、などと言いたいくらい(笑)。


一応、今回は「つづき」に書いとくね。
テレビしか観てない人もいるでしょうし(って、今更な配慮……つか配慮ともいえん……)汗。




「つづき」は ↓
***********

拍手[5回]

久々に描いてみた



すっごい久しぶりにフォトショCS6を起動。



……しかも、描きたくなんかなかったんだけど、チャラスケである。

しかも、今週の2199TV放映回を意識している。

しかもこの絵は、とあるお友達サイトの古代クンの呼びかけへの返事でもある………

まあ、基本的に絵チャノリなのである……(^^;)

腕の徽章がないとか、細かいことはツッコンじゃ駄目なのである……そんなん面倒くさいから描かないのである……w


………はあ、しかしペンタブ変えてよかった…
やっとイラつかない動きが出来るようになってきたです(笑)。



*******


「つづき」に、拍手コメへのお返事と、
最近いらして下さってる旧作島さんファンの皆様へのお返事を……♡

拍手[3回]

そうだったのか(と勝手に納得)笑



暴言吐き続けて幾星霜(笑)……なんじゃそりゃ(^^;)

あ、はい。
あるお友達にも言われましてん。
「あ〜〜、それを言っちゃうのか〜〜、言っちゃったなあ、やっちまったなあ、って思いながら記事見てるよ」……とか。

フン… どうせ肉食系ですよ、
ほっとけ(笑)


だがしかし。

ひとつ、分かったことがある。
つか、分かったような気がしてるんだけども。
『なぜ2199はあんなに男達がヌルイのか』の理由が。


ERIだけじゃなく、「ヌルイ!もっと熱くなれないのか!」とか思ってるのは、
どうも女子ばっかりなのだ。
おしなべて、男性の意見は「いや〜、第6章は過去最高です」だったりしている(当社比)。

まあ、私はそんなにネットの海を徘徊してるわけじゃないんで、
手の届く範囲でのリサーチに過ぎないから絶対とは言い切れないですよ?(笑)けど、
男性の感想は「素晴らしい!」が大半。
まあ、もちろんそれも、メカや戦闘の細部に関する感想が多いんだけど。

七色星団会戦を昔の洋上艦隊戦に見立てた描写とかは評価が高い(でも、ファルコン2機で沈む空母なんてダメだろ、って突っ込んでる方も居ましたが…それは私もそう思ったですw)。
ちょっとナウシカの、もろい飛行艇同士の戦いみたいな描写だったけど(雲に突っ込んだらバラバラになって負け、みたいなwアレですよ)…
老兵と少年兵の活躍を描いたことも好評だったらしい。

で、男性の意見として「肩すかし」とか「あっさり」とかってのはあんまり見かけない。
(私他、女性の意見では「はらら?もうおしまい?全然緊迫感なかったじょ?」ってのが多いけど、男性はそこまでは思ってないみたいなのよね…)

その理由が、何となく分かった、気がするERIさんであります。


この先、またしても暴言でございますので
せめてもの配慮として「つづき」に書こうかと思いマス。
ぷぷぷ。
ええ、ものすごく偏見に満ちてるので(爆)読まなくても良いです。
つか、逆に、読んで怒ってくれた方が… いいのかもしんない…
そういう男性に、私は逢いたい(おい)…

『つづき』へ



拍手[7回]

背景が多分感性を歪めてる…

ええと〜
一夜明けて(笑)。
つか、二夜か。


第6章、PV 担当の某氏がココを覗いて下さっていた、ってことを知っていて暴言吐きましたが。
反省はしていない(キッパリ)笑。

つか、あれ、かなり正直な感想だからな〜。






私もたまに、アニメやマンガに対してすっごく真摯な描写で感想を書いてみたりするけど、私にとってアニメやマンガはその他の娯楽と同じ。ぶっちゃけて言っちゃえば(これも暴言なのでしょうけども)ラヴェルのピアノを聴く時も、日本フィルのオケを聴く時も、薪能や舞台を観る時も、フィギュアスケートを観る時も、ハリウッド映画、邦画を観る時も、感性は全部一緒なわけである。
クラシックだからアニソンより上だとか、
舞台芸術の方がお笑いステージより上、とかいう、
んー、そう、『格』によるカテゴライズ…みたいな感覚は、実は私の感性の中にはない。
すべてにおいて、私は天井桟敷の人間で、どんなに高い料金を払って観ても
詰まらないものは詰まらないし、面白くないものは面白くない、って言う。
ヘンだと思えばヘンだと言うし、それで恥かいたとしても裸の王様よりはマシ、って思ってる(笑)。



……低俗?
まあ、俗物なのは間違いない(笑)。
でも、私の中では、上に書いたようなものは全部、
ただ私がヒトとして楽しむため、脳みそや身体をリラックスさせたり興奮させたりして明日へ生きる希望にするためのモノなんだな。大げさだけどな。

そう言う、正直な、真っ平らな感性でもって2199を観た感想がね……

特に、七色星団会戦と囚人惑星と雪の珍道中(^^;?あれ?)とが一緒くたに描かれたことに対する「ビミョーな拒否反応」だったんだよねえ。



物語って、オムニバスな構成にすると、どうしても全体として「動」というよりは「静」になるよね。
それは、ほとんどどんな作品においても必至。
あっちを描き、こっちを描き、な構成にして、芯が一本通ったスリリングでスピーディで、なおかつ熱い物語に織り上げられてる作品は、そうそう『ナイ』。
今回の2199にも「あわわわわ、今度はそっちか!」みたいな目まぐるしさが終始つきまとう。
そのおかげで、かえって観ているこっちは冷静になってしまうわけだ。
「動」だったのは、囚人達の脱走とユキとノランの逃避行、薮、駆けずり回る古代。
でも、メインの七色星団会戦は「静」……


七色星団会戦を「静」として描く必然性はなんなのか。
私は、あれを「イイ〜!」とは思わなかった。
バトルアニメを観てるのに、一番イイトコを粛々とやってどうする。
なんか、それが作り手だけが満足してる前衛の舞台を観てるような感じで詰まらん!と思ったのだ。
もちろん、あの「動」と「静」の対比を秀逸、と見る人もいると思う。
それはそれでいいのよ。感性の問題だから。
好き嫌いの問題だよね、ぶっちゃければね。


…という前置きをして、もう一度(笑)。
七色星団会戦を「静」として描いたのは、どうしてなのか。

突き詰めて行けば、それは総指揮を執る制作者が、あの作品において何を最も主張したかったか…に帰結する。んではないだろうか、と思う。

だって。

ヤマトとドメルとの戦いを、存亡を賭けた「地球人の」戦い…という視点で観たら、
例えば「誰かが亡くなった瞬間にそれを「ハッ」と感知する配偶者」の図は、
エリーサじゃなくて地球人の誰か、…であるべきだ。
あのドメルとエリーサの絆が、地球人の誰かとヤマトの誰かの絆を差し置いて殊更に美しく描かれた意味、それを考えれば、総指揮を執る彼が、2199で何を最も描きたかったかがはっきりと分かる。

宇宙の果てで、同じヒューマノイド同士の戦いに哀愁?
旧作ならわからなくもないけど、2199でそれはナンセンス。

単に、総指揮を執る彼が好きな世界観を美化して描いた。
ガミラスを描きたい、
それに重きを置きすぎな印象がどうしても否めない。

豪華な製作陣の存在も、それを裏付ける。
みんながみんなして「オレヤマト」を実現した成果というか(笑)。
まあもちろん、旧作だって西崎Pのオレヤマトだった。だけど、変な話で、
見せ方は数段上だったんじゃないか、とやっぱり改めて思うのだ。
簡単にいうと「勧善懲悪」水戸黄門的な素直な作り。
その芯がちゃんと一本通ってた、そのことが意外に重要だった。
制作者として、視聴者に敬意を表して作品作りをしていたというかね。
自分のやりたいことを嫌というほど追求しつつ、同時にどういう展開をすれば視聴者に最も満足感を与えられるか、っていう計算が実に絶妙だったと思うわけ。
対して2199には、それが感じられない。
制作者も総指揮も全員、いちファンであって、提供者じゃない。
二次創作ならそれでもいいけど、リメイクって二次創作なのか?
そういう狭い意識で作ってるのか。


例えば、どこに感情移入をすれば良いのか、2199ではそれが不明瞭なわけよ。
現実は確かに「どこに、誰に感情移入するべきか」なんて、不明瞭なのが当たり前。
だけど、あれはエンタテイメントでしょ…?
視聴者として、「宇宙戦艦ヤマト」を観てるんだから最初は「ヤマト側」に感情移入して観るように作ってたわけだよね?
なのに、だんだん訳が分からなくなってきたのはどうしてだ?(笑)
細かいとこばっかり描くから、中心に据えるべき「芯」が見えなくなっている。
それをオリジナリティというのかもしれないが、だとしたら視聴者をナメている。
混乱させたり選ばせたりするには、あまりにも尺の割に選択肢が多すぎて、つまりは「またここから妄想膨らまして二次、三次を作ってちょ」とでもいいたいのか。コミケノリか?って思っちゃう。やっぱり、ファンフィクションの域を出ていない。


話を戻すと。
ERIはいち視聴者として、地球人としての立ち位置であれを観てるんだけど、
だんだんそれは間違いなんじゃないか…って思えてきてる。

あの物語は、地球という野蛮人に罪のない辺境艦隊を一方的に叩かれ、仕方なく報復攻撃を始めたら隣の星からアッチ側にテコ入れがあり、したくもないのに大規模戦闘がはじまり、そうこうしているうちに愛すべき家族が巻き込まれ、全体が死んで行かなくちゃならない星の運命… 
そういうお話を見せられている気になってくる。
ヤマトは、完全にヒールだよね。
波動砲を作った真田は悪の科学者でしょ。
たった一隻で、何万の艦隊を翻弄して壊滅させる魔性の船……
私にはだんだんヤマトがそういう風に見えている。
そういう風に見れば、ドメル戦が「静」であっても、それはむしろ、仕方のないこと、って思えてくる。


けど!!!

なんか違うでしょ!!
宇宙戦艦ヤマトって、そういう話なの?
二次創作ならそれでもアリだよ、いいんだよ?
でも、……あーうー……。

地球で待ってる人たちはどうでもいいのか。
ヤマトは何のために戦ってるのか。
そもそも、第5章までの温い艦内生活、必死さは微塵もなく危機感もない。
そこへ来て、必死に生きてる描写をされてるのはガミラス人たちで、地球人じゃない……

これにどうしても、同調出来ない。
何のリメイクしてんのか、わかんない。
ヤマトと戦うガミラスの話、をリメイクしてんの?







笑……

何でこうまで突っかかるかな、って思ってる?
(^^;)
いや、面白いよ?面白いってば。
だって、初日にBD買えなくて、しょうがないから翌日疲れた身体引きずってもう一度劇場まで行って、BD買ったくらいだからね。ほんとはそんなモンにお金使ってる場合じゃないのに、9000円も使ったからね(爆)?
そのくらい好きだよ、ヤマトがね。



うーん…
好きだからこそ、肩すかしを食らったのがマジで悔しいのよ。
「静」に徹したポエムなドメル戦、なんて見たくなかったんだよ。





その理由は多分、簡単なのよね。


私自身が今現在、リアルな生活の中で戦っているから、だと思うわけ。
生きるのに必死、家族を活かすのに必死。
人として感性をニュートラルに保つのだけでも必死。
だから、のほほんと生きてる人を見るだけで不愉快。
ヤマトの艦内が、すごく快適そうなのが不愉快。
お前ら戦争してんだろ、もっと緊張しろよ!…って。

笑。

つまり、アタシ自身が今、戦後のハングリーな日本人みたいな感じだから、なんだと思うわけ。


旧作ヤマトは、そういう時期に作られました。
だから、一本筋で「誰かを守るために戦う」とか「愛」とか、テーマとしては単純なモノが視聴者の心にもしみた。
命をかけて戦うとか、そういうのがリアルに感じた、視聴者もまだ戦ってる人が多かったから。
ドメルの意地と、沖田の意地が、両方の星の命運を賭けた命のやり取り、って思えたのはそういう背景があったからだった。
歌なんか歌って、死を決意。
そんなご臨終はリアリティがない。
本当に戦ってる人間は、「みんなでいっしょに」なんていう心の余裕はナイ。
もっと醜いし、もっと悲惨。
阿鼻叫喚、っていう描写は2199にはないけど(囚人は別w)本当はそういう地獄絵図があるはずで、
「静」のまま戦死するなんて男(漢)じゃねえよ!って思うのだ。
足掻いてない、生きようともがいてない。
反省するドメルなんて見たくなかった。




それもこれもねえ、
自分が戦っている戦いほどに熾烈じゃない、あの2199の描写が、
ホンット悔しいからなのだ。
ドメルもヌルい!
沖田もヌルい!(笑)
分かり易くもっと熱くなれないのか!
血湧き肉踊る熾烈な戦闘をかいくぐって、手足もがれて辛くも勝利!みたいなのが、本当は観たかった!!!
下っ腹えぐられた、ボロボロのヤマトが見たかったんだよ!!(……^^;)
ヤマト、すげえ!!生き抜いて勝利するって、こんなにすげーコトなんだ!!って、
ヤマト観て思いたかったんだよ!!


波動防壁に守られて無事な第三艦橋、それが今回の2199の象徴、じゃないだろうか。



(え?…だから、タイトルに書いたっしょ?ERIのバックボーンが、感性を歪めてるんだよ、って。もっとね、男っぽいのが見たかったの!女のあたしにはしたくてもできないような、泥臭いのが!そうやって、勝って欲しかったの!!ヤマトに!!ポエム読んでるみたいな戦いはつまんないんだよ!!)← なんか手負いの獣みたいだな……(^^;)






拍手[18回]

カレンダー

03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

最新コメント

[02/29 ERI]
[12/08 くえすちょん]
[11/18 某ましゅ]
[11/18 ERI]
[11/18 某ましゅ]

最新トラックバック

プロフィール

HN:
ERI@Endorphin
性別:
非公開

バーコード

ブログ内検索

P R

Copyright ©  -- The Planet of Green  ☆ blog --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Photo by Geralt / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]